第1回 NASAの火星探査計画で活躍する若き日本人

 NASA(アメリカ航空宇宙局)と聞くだけで、胸がときめく。

 1960年代生まれのぼくは、かろうじてアポロの月着陸を覚えている。幼い頃の記憶だから、曖昧模糊としているのだが、夜空に浮かぶあの「お月さま」に、今この瞬間、人がいるんだと思うとすごく不思議な感じがした。

 1976年に火星に着陸したバイキング1号、2号の時には、ちょうど小学校6年生だった。夏休みから二学期にかけて続々と入る火星のニュースにやはり胸をときめかせた。その後、一大テーマであった火星の生物の検出はできず、落胆したのもはっきり覚えている。

バイキング1号と2号はこの着陸機(ランダー)を無事火星に送り届けた。写真はJPLの実験場「マーズヤード」の試作機。(Image: NASA/JPL-Caltech/University of Arizona)
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1976年7月20日、バイキング1号のランダーが着陸してすぐに撮影した火星。火星の地表で最初に撮影された写真だ。(Image:NASA)
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 この時、新聞に頻出するJPL(ジェット推進研究所)という機関の名前が胸に焼き付いた。NASAの数あるセンターのひとつで、特に無人探査機を担当する。バイキング計画に先立つマリナーシリーズや、80年代90年代に、火星よりも外側にある外惑星探査を担ったボイジャー1号と2号も、JPLが中心となって推し進めたものだった。

ボイジャーの想像図。(Image:NASA)
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 JPL。ジェット推進研究所。

 そのやや謎めいた名前に首を傾げながらも、世界に名だたる「NASA」というブランドの中のさらに最高級ラインのようなイメージを抱くようになっていた。

 さて、そんなJPLに、若き日本の航空宇宙エンジニアが乗り込み、30代前半にして八面六臂の活躍を見せているという。これはお話を伺いたい! と思いつつ、なかなか果たせずにいたところ、日本に帰国した際、時間を取っていただけることになった。

 小野雅裕さん。

 NASAのJPLに勤務する研究エンジニア(research technologist)。大学までは日本の工学部で学んだものの、大学院から渡米しMIT(マサチューセッツ工科大学)で、博士号(Ph.D.)を得た。そして、一時、慶應義塾大学の助教をつとめた後、再渡米しJPLで宇宙探査計画に携わっている。

小野雅裕さん。ここが仕事部屋だ。(写真提供:小野雅裕)
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