Episode1 キャプテン・クックが見落とした海域

 さて、船が出航すると問題になるのが、「船酔い」である。
 アラスカへの北上は、大抵の場合が北から吹き降ろしてくる風とぶつかる。
 いわゆる、アゲンスト(逆風)だ。
 こういう場合、船は波に乗るのではなく、波に立ち向かうことになるので、大いに揺れる。
 バンクーバーから北上してすぐに、右側に現れるサンシャインコーストと呼ばれる沿岸部は荒れることで有名な海域だった。

 船酔いは最悪である……。
 吐きまくり、吐きまくり。脳みそが、ぽちゃんぽちゃんと、水を張ったボールの中の豆腐のように揺れ、目玉が水槽の中の金魚のように泳ぎ回る。
 一切の食べ物も受け付けず、短時間で極度の体力を失う。
 しかも、一旦海に出ると、どこにも逃げ場がないために、閉塞的な絶望感に苛まれ、精神もイカれて狂ってくる。
 歩けないし、考えられないし、何もしたくない。
 しかし、それを乗り越えると、乗り越えた者にしか見えない、何かが見えてくるのである。
「船になんぞ、二度と乗るものか!」
 と思いながらも、また乗ってしまう。ヘド吐き後の女神様のようなものである。
 それはまるで、余分な身を削ってスッキリしたような、世俗の毒を吐き切ったような、なんとも言えない爽快感だ。

 とは言うものの、はやり船酔いの苦しみは味わいたくない。
 そう願っていると、ラッキーなことに、出航の日から数日間、南の風が吹いた。
 南の風は、北上する私たちにとって追い風である。幸先が良い。

 運良く船酔いの洗礼を受けなかった私は、寄港した地でルカの散歩を楽しんだ。
 すると、今まで飼い主のスキッパー・ボブにべったりとくっついていたルカが、夜になると私の寝床に潜り込んでくるようになった。
 そして、日中も、私の後ばかり付いて来る。

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 そんなルカは、私が前方確認のために船首に行くと、一緒に前方確認をしに来る。
 マスト付近で帆を揚げる作業をしていると、自分も参加しているように、必ず私の足元にいる。
 海図の確認作業をしていると、一緒に覗き込んで来て、トイレに入っている時でさえ、ドアの前で「ク~ン」と鼻を鳴らして待っているのだ。
 もはや、どこにいても何をするにも、ルカは私と一緒。
 一心同体。

 そんな状況を涙目で見ていたのは、あっけなく飼い主廃業になってしまったスキッパー・ボブである。
 それ以来、彼のキャビンからは、
「ルカちゃん、戻って来て……」
 という寂しい声が聞こえてくるのだった。

フィヨルドの海の恵み

船旅では、海から食料を頂くのも楽しみの一つ。その恵みを、毎回紹介いたします。

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つづく

廣川まさき(ひろかわ まさき)

ノンフィクションライター。1972年富山県生まれ。岐阜女子大学卒。2003年、アラスカ・ユーコン川約1500キロを単独カヌーで下り、その旅を記録した著書『ウーマンアローン』で2004年第2回開高健ノンフィクション賞を受賞。近著は『私の名はナルヴァルック』(集英社)。Webナショジオでは「今日も牧場にすったもんだの風が吹く」(電子書籍化)「アイスブルーの瞳」を連載した。
公式サイトhttp://web-hirokawamasaki.wixsite.com/webmasaki