第32回 クロレラとクマムシ

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 オニクマムシの飼育には多大な労力を要する。餌となるワムシの培養、培養したワムシの回収、そして、オニクマムシの培地交換、などなど。DNAやタンパク質など、分子レベルで研究を進めるためには、多数のクマムシを集めて解析する必要がある。だが、多数のオニクマムシを飼育するのは困難なため、この種類を用いて研究を続けるのは困難である。

 そこで、思い切ってオニクマムシをあきらめ、もっと飼育が簡単で、それでいて耐性能力をもつようなクマムシ種を探すことにした。国内と国外から十種ほどのクマムシを集め、実験室で飼育することにしたのである。

 クマムシの餌は簡単に供給できるものが必須だ。ワムシなどを食べるような肉食性のクマムシをみつけたところで、またオニクマムシを飼育するのと同じ状況になってしまいかねないからだ。

 では、どのような餌を候補として選べばよいのだろうか。クマムシの飼育に関する文献は少ないため、彼ら(彼女ら)の餌についての情報は乏しい。そこで、ほとんど勘に頼り、金魚の餌や牛乳寒天を、採集したクマムシたちに与えることにした。ちなみに、牛乳寒天については、当時所属していた奥田隆さんらの研究室でネムリユスリカ幼虫の餌として使用されていたことから、ヒントを得た。このようにして、培地の中でクマムシに餌「候補」を与えて飼育にチャレンジしたのだった。

 しかし悲しいことに、どの種類のクマムシもまったく育たずにばたばたと息絶えていった。たしかに、金魚の餌や牛乳寒天で飼えるほど甘くはないと思っていた。だが、ほかにどんなものを餌として与えたらよいものか。見当もつかなかった。

 この飼育実験を行なっていたころ、オニクマムシの餌として培養していたワムシの培養槽の中に、何やら緑色の物体が湧いていることに気付いた。どこかからか混入した緑藻類が増殖しているようだ。「ある種のクマムシは緑藻類を食べる」。以前、国際クマムシシンポジウムでイタリアの研究者がそう言っていたのを思い出した。

 試しに、この緑藻をクマムシたちに与えてみた。すると、その中の1種類のクマムシが、緑藻を食べて卵を産んだではないか。このクマムシは、札幌市内を流れる川にかかる、ある橋の上に生える苔から見つかった、ずんぐりとした褐色の種類だった。

「これはもしかして……」。産み落とされた卵は、しばらく後で無事に孵化した。この第二世代の子どもにも緑藻類を与えると、徐々に大きくなり、ついに3週間ほどで卵を産んだ。この第三世代の卵も孵化。

「この種類のクマムシは、緑藻を食べて飼育できる」。そう確信した。簡単に購入できる緑藻をネットで検索して目に留まったのが「生クロレラV12」という商品。本来、養殖用の稚魚にあたえるワムシを育てるために開発された商品である。これを、この褐色のクマムシに与えてみると、これが大当たり。ばんばんと卵を産み、ぐんぐんと育つ。この生クロレラV12は液状タイプなので、適量をスポイトで吸い取って培地に与えればよい。ワムシのように、培養したり回収する面倒さはない。培地交換も、オニクマムシでは2日間に1回の頻度で行なっていたが、このクマムシでは1週間に1度ですむ。

 こうして、新しい研究対象となるクマムシが見つかったのだった。のちに、このクマムシはきわめて高い環境耐性能力を備えていることが判明した。クマムシ分類学のスペシャリストである阿部渉さんの鑑定により、このクマムシがラマゾティウス・バリエオルナツス(Ramazzottius varieornatus)という学名の種に酷似していることは以前から分かっていたが、和名はまだついていなかった。そこで、クマムシのなかでもとくに強い種類ということで、僕は「ヨコヅナクマムシ」と命名した。平成の大横綱、貴乃花をイメージして名付けたのである。

つづく

堀川大樹

堀川大樹(ほりかわ だいき)

1978年、東京都生まれ。地球環境科学博士。慶応義塾大学SFC研究所上席研究員。2001年からクマムシの研究を始める。これまでにヨコヅナクマムシの飼育系を確立し、同生物の極限環境耐性能力を明らかにしてきた。2008年から2010年まで、NASAエイムズ研究センターおよびNASA宇宙生物学研究所にてヨコヅナクマムシを用いた宇宙生物学研究を実施。2011年から2014年まで博士研究員としてパリ第5大学およびフランス国立衛生医学研究所ユニット1001に所属。『クマムシ博士の「最強生物」学講座――私が愛した生きものたち』(新潮社)、『クマムシ研究日誌 地上最強生物に恋して』(東海大学出版部)の著書がある。Webナショジオ「研究室に行ってみた。」の回はこちら。人気ブログ「むしブロ」および人気メルマガ「むしマガ」を運営。ツイッターアカウントは@horikawad