第31回 全米が泣いた?!『クマムシの恋人』

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 肉食性のクマムシがワムシやセンチュウなどの微小な動物だけでなく、しばしばクマムシも食べることはこれまでにお伝えしたとおりだ。とくに小さなクマムシは食べやすいようで、クマムシを観察しているとこれらが餌食になっていることが見られる。

 そこで、あるとき心配になったことがある。オニクマムシの飼育培地の中で大人と子どもが混在しているとき、小さな子どもは大人に食べられてしまうのではないか、という懸念だ。以前、同じ培地の中でオニクマムシと別の種類のクマムシを混在させたとき、大きなオニクマムシが別種のクマムシを食べていたのを見たことがあったからだ。

 だが、培地の中にオニクマムシだけを入れておいた場合では、大人が子どもに遭遇しても捕食行動をとらない。オニクマムシは同種内で共食いをしないようである。もっとも、培地の中にいたすべてのオニクマムシは互いに親子や姉妹の関係にあるため、きわめて近い血縁関係をもつ集団だ。遺伝的にきわめて近い個体を食べてしまうことは、自身の遺伝子コピーを減らしてしまうことになる。進化の過程で、オニクマムシは近縁の個体を攻撃しないようになったのだろう。

 では、彼女らはどのようにして自分たちと別種のクマムシを区別しているのだろうか。残念ながら、この仕組みはまったくわかっていない。オニクマムシの頭部には、感覚器と思われる突起物がある。おそらくだが、オニクマムシはこの感覚器で相手の体表に存在する化学物質を検知し、仲間とその他を区別しているのではないだろうか。アリは、体表の炭化水素の種類の違いをたよりに、相手が同じ巣のアリかどうかを見分けている。クマムシにも、これと同じ仕組みがあるのかもしれない。

 いずれにしても、オニクマムシは仲間を襲わないことをお分かりいただけただろうか。

 だが、何事にも例外はつきものだ。一度だけ、オニクマムシが他のオニクマムシを食べているシーンを目撃したことがある。

 私が見たその光景は、とても信じられるようなものではなかった。片方のオニクマムシが、自分の口をもう片方の個体の口の中に突っ込んで、体液を「どっこんどっこん」と吸っていたのである。マウス・トゥー・マウスによる捕食である。食べられているほうの個体はまだ動いていたが、体液が吸い取られているために体がしわしわになっていた(まるでDIOに血を吸い取られたジョセフ・ジョースターのように)。

 このような例外的惨事が起きた原因を想像するのは困難だ。だが、あえて想像して立てた仮説は、こうだ。まず、何かの拍子で偶然にオニクマムシどうしの口と口がぶつかった。口の部分には自分の身分証明書代わりである化学物質が存在しなかったため、相手が仲間だと認識できずに攻撃してしまった。これ以外に、うまい説明は思い当たらない。

 いつも早歩きで同じ道を通学する、男子大学生。この道の脇のコケにすんでいたオニクマムシの女の子は、この細マッチョ男子に一途なあこがれを抱いていた。神様のおかげで念願叶い、人間の女の子に姿を変えたオニクマムシのクマ子。紆余曲折を経ながらも、ついに2人は婚約に至る。神父の前で、永遠の愛を誓い合う2人。クマ子のファーストキスを捧げるときがきたのだ。ところが口と口が触れたその瞬間、クマ子のクマムシ本能が発動して一瞬で新郎の体液を吸引してしまい、ジ・エンド……。というストーリーのハリウッド映画『クマムシの恋人』が公開されたら、全米が泣くにちがいない。

つづく

堀川大樹

堀川大樹(ほりかわ だいき)

1978年、東京都生まれ。地球環境科学博士。慶応義塾大学SFC研究所上席研究員。2001年からクマムシの研究を始める。これまでにヨコヅナクマムシの飼育系を確立し、同生物の極限環境耐性能力を明らかにしてきた。2008年から2010年まで、NASAエイムズ研究センターおよびNASA宇宙生物学研究所にてヨコヅナクマムシを用いた宇宙生物学研究を実施。2011年から2014年まで博士研究員としてパリ第5大学およびフランス国立衛生医学研究所ユニット1001に所属。『クマムシ博士の「最強生物」学講座――私が愛した生きものたち』(新潮社)、『クマムシ研究日誌 地上最強生物に恋して』(東海大学出版部)の著書がある。Webナショジオ「研究室に行ってみた。」の回はこちら。人気ブログ「むしブロ」および人気メルマガ「むしマガ」を運営。ツイッターアカウントは@horikawad