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プリピャチへ向かう途中、空っぽになった豚の飼育小屋でひと休みするクニャーゼフ氏(通称ジムサイド)。「私を惹き付けるのは、ゾーン内の自由さです」と彼は言う。「ここは2500平方キロの広さがあり、事実上、人はまったくいません。どの家にも、どのアパートにも自由に入って、そこで暮らし、歴史を感じることができるのです」(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

チェルノブイリの記憶、立入禁止区域に侵入する「ストーカー」写真16点

2017.12.28

 史上最悪の原子力事故の現場、チェルノブイリでは、今も鋼鉄のシェルターの内部に推定200トンの放射性物質が眠る。重さも臭いもなく、目にも見えない放射線は、地面に滲み込み、苦しみの大地に広がり続けてきた。(参考記事:「事故から30年、チェルノブイリが動物の楽園に」

 汚染が最もひどい地域から半径30キロ圏内――この立入禁止区域は、人間の愚行を弔う巨大な霊廟だ。その荒廃した光景は、失敗に終わったソ連の理想郷の象徴、自然破壊をもたらす人間への警告、そして我々の脆弱さと回復力の証拠でもある。

 事故から31年がたった現在、この場所を再び生きた人間がうろついている。10年前から、「ストーカー」を自称して、立入禁止区域に無断で侵入する人々が増えているのだ。彼らは闇に紛れて入り込み、放射線を浴びた森を歩いたり、人のいなくなった村で眠ったり、プリピャチの街に立つ崩れかけた屋根の上にのぼる朝日を眺めたりしている。

「地球に残された最後の1人になったような気分になります」。こう語るのは、立入禁止区域に50回ほど侵入し、現地で合計1年ほどの期間を過ごしたユージン・クニャーゼフ氏。「空っぽになった村や街、道路を歩くと、不思議な興奮を覚えます」(参考記事:「チェルノブイリに惹きつけられる人々」

チェルノブイリで立入禁止区域との境界線に向かうマキシム・ルディヤフスキー氏とアレクサンデル・シェレフ氏。(PHOTOGRAPH BY PIERPAOLO MITTICA, PARALLELOZERO)

跡地をめざす旅行者たち

「ストーカー」という言葉は、ストルガツキー兄弟による1971年のSF小説『路傍のピクニック』に由来する。この物語では、異星からの来訪者が危険な品々を残していった区域を「ゾーン」と呼んでいる。立ち入りが厳重に禁止されたゾーンに入り込む「ストーカー」たちは、異星人の残した物を盗み出しては違法に売りさばく。この小説は後にアンドレイ・タルコフスキー監督によって『ストーカー』というタイトルで映画化されている。

 チェルノブイリ事故の15年前に出版された同作の内容は、まるで未来を予言するかのようだ。

 1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所においていくつものミスが重なった結果、史上最悪の原子力事故が引き起こされた。国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)において「レベル7(深刻な事故)」とされているのは、チェルノブイリのほかには福島第一原子力発電所事故(暫定評価)のみだ。チェルノブイリでは、4号炉の爆発によって放出された放射性ダストの雲により、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの広範囲に汚染が広がった。避難を余儀なくさせられた人の数は10万人近く。人的被害のみならず、政治的、経済的な影響も甚大かつ永続的なものとなった。(参考記事:「原発事故の現場を訪ねる チェルノブイリ見学ツアー」

JEROME N. COOKSON, NG STAFFSOURCE: STATE AGENCY OF UKRAINE ON EXCLUSION ZONE MANAGEMENT

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