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サンイグナシオ潟を泳ぐコククジラの目。(PHOTOGRAPH BY THOMAS P. PESCHAK, NATIONAL GEOGRAPHIC)

眼前で激写! 人懐こいクジラのすむ海、メキシコ

2017.09.06
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 野生動物を撮るフォトジャーナリストとして、私は壁に止まったハエになるよう心掛けている。被写体である動物が私の存在に気づいたり、それによって行動をがらりと変えることは決して望ましくないと考えているからだ。

 私は20年近くクジラを撮影してきた。普通は海上で何週間も費やし、良いコンディションで遭遇できるのが2~3回といったところだ。しかし、メキシコ、バハカリフォルニア半島にあるサンイグナシオ潟のコククジラは、私のこれまでの撮影方法をひっくり返してしまった。

 まず、撮影に先立って、動物とのスキンシップの時間をもたなければならないのは初めてだった。実際にクジラが接触してくると、触れ合わないわけにはいかない。頭をなでてやったり、体に水をかけてやったりする。もしそうしたコミュニケーションを取らなければ、クジラが近くをうろつく時間は1分にもならない。「何だ、遊ぶんじゃないの?」と言いたげな目を向けてきたかと思うと、すぐにどこかへ行ってしまう。

【動画】写真家のトマス・ペシャック氏とクジラ。珍しいほど人懐こいサンイグナシオ潟のコククジラと触れ合いつつ、撮影も行う。(解説は英語です)

 こうしたクジラを撮るのは取引のようなものだ。クジラの望む関心を私が示し、代わりに私は撮るべき写真をこっそりと物にする。

 サンイグナシオ潟では、クジラがカメラに近づきすぎるため、離れてくれるのを待たないとシャッターが押せないという瞬間が非常に多くあった。広角レンズを使うことで近距離からクジラを撮影できたが、これに味をしめて今後も同じ方法でクジラを撮っていると、どれも青い写真になってしまうだろう。

「悪魔の魚」と呼ばれて

 19世紀、コククジラは「悪魔の魚」と呼ばれていた。捕鯨船員が子クジラに銛を打ち込むと、母クジラが小さな捕鯨船を何艘も破壊したからだ。この攻撃性は、地元の漁師仲間の間で長年言い伝えられていた。(参考記事:「絶滅寸前のコククジラ、最長移動距離を樹立」

 それが大きく変わったのは1970年代の半ばだ。好奇心旺盛な1頭のクジラが、漁師の一団に近づいた。頭を水から出して、どんどん接近してくる。漁師たちは震え上がったが、恐怖に打ち勝った者が1人いた。彼は手を差し出し、クジラに触れた。

コククジラの母子が、サンイグナシオ潟の水中で人と触れ合う。(PHOTOGRAPH BY THOMAS P. PESCHAK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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(PHOTOGRAPH BY THOMAS P. PESCHAK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 変わった経緯ではあるが、この有名な「平和条約」は、何年もかけて他に例のないクジラ文化へと進化した。今では、子クジラが一定の年齢になると、母クジラは小さな船に近づくよう我が子を盛んに後押しする。時には子クジラを水面へと押し上げることさえあり、まるで子どもを初対面の人間に紹介するかのようだ。(参考記事:「【動画】史上最高にかわいい? 3匹のアライグマ」

 この種の関わり合いはクジラに危険を及ぼさないのか、と何度も聞かれる。ホエールウォッチング船が競うように出て、1頭のクジラが周囲すべてを船に囲まれるほどになっているのを、私はこれまで何度も見てきた。これはクジラに明らかなストレスとなるし、スクリューによる負傷の危険も高まるかもしれない。だが、サンイグナシオ潟は違う。ここでは、どんな場合でも触れ合いの主導権をクジラに任せることで、自由に振る舞わせている。

 コククジラが交尾と出産のため潟にやって来る12月から4月の間、漁師たちの仕事は、漁業からクジラを活用した観光業に切り替わる。魚の資源量が減り続けている今、地元経済の主力として、クジラの重要性がにわかに大きくなっているのだ。

メキシコ、バハカリフォルニアのサンイグナシオ潟で水面から出てくるコククジラ。水から垂直に頭を出して偵察する「スパイホッピング」という行動は、クジラ目のほか、サメの一部でも見られる。(PHOTOGRAPH BY THOMAS P. PESCHAK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 サンイグナシオ潟の漁師たちは、クジラの育児室となっている一帯を守る役割を極めて真剣に考えている。クジラの幸福は、漁業で成り立つ地域の幸福のために不可欠なのだ。(参考記事:「【フォトギャラリー】伊豆諸島で見つかった希少なコククジラ」

 クジラが北へと移動を始めるときには、「フレンドリーな」行動を見せてから出発していくように見える。そして、潟の外でほかの船に近づいた例は知られていない。

 野生の動物たちは、遠くから眺めるのが一番だ。それが、私たちが最も楽しめ、相手と自分たちの安全も守れる方法だろう。サンイグナシオ潟の状況は普遍的なものではない。関係を成り立たせる方程式はここ独自のものだ。しかし、ある地域がクジラと関係を築き、それが不思議なくらい珍しい変化を遂げた様子は、見る者にインスピレーションを与えてくれる。

ナショナル ジオグラフィック2017年10月号

今回の人懐こいコククジラの写真を含む、写真家トマス・ペシャックが担当した特集「メキシコ よみがえる豊かな海」を収録しています。


写真家トマス・ペシャックが担当したこれまでの特集
2017年6月号:適応か、絶滅か ガラパゴスの生物たちの運命
2016年5月号:よみがえるセーシェル
2014年4月号:モザンビーク海峡 二つの環礁の物語

文、写真=Thomas P. Peschak/訳=高野夏美

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