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ガルム=チャシュマで温泉を楽しむ人。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)

独立から25年、岐路に立つタジキスタンをとらえた16点

2016.09.20
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中央アジアの貧国タジキスタン。ソ連の崩壊とともに独立を果たして25年になるこの国の現在を、写真家ダビデ・モンテレオーネが追った。

「あれが“世界の屋根”ですよ」。コーディネーターのディドラリ氏が、渓谷の向こう側にそびえるパミール高原をよく指差す。

 ソビエト連邦崩壊とタジキスタンの独立から25年がたった。私は3週間かけてこの国を巡りながら、旧ソ連諸国で最も貧しい国の今を探そうとしている。

ノラーク周辺の山。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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 私は、最近までロシアで出稼ぎ労働者として働いていた人々に会いに行く。何十万人にものぼるこうした労働者たちは、ロシアに対する経済制裁とルーブル暴落の煽りを受けて、続々と生まれ故郷に戻ってきている。

 5月中旬の土曜の朝、ディドラリ氏と私を乗せた車はパンジ川沿いを走り、山に覆われた同国東部、ゴルノ・バダフシャン自治州(GBAO)に入った。

山岳地帯を通ってホログとオシュを結ぶパミール・ハイウェイ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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 同州の州都ホログの北東部に暮らす、元出稼ぎ労働者のファラクノズ・ナシロべコフ氏を訪ねた。田舎町には、昔ながらのパミール地方の家が並ぶ。

 グント川を見下ろす、ささやかながらも美しい庭のテラスでお茶をすすりながら、ファラクノズ氏は、自分も大半のタジク人出稼ぎ労働者と同じく、以前はロシアと母国を行ったり来たりしながら暮らしていたと語る。

「私は数カ月前、1997年から働いてきたモスクワから引き上げてきました。この10年のうちに帰省したのはほんの数回で、夏に何カ月か家族と過ごしただけです。今回はもうモスクワには戻りません」

ドゥシャンベではカタールの出資により新たな大モスクが建設中。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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ルフショナ・ショジエゴエフとウメド・ショジエゴエフ。ドゥシャンベ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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ナジラ・ヨンベコヴァ。アリチュール。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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「私たちは人間だ」

 古い歴史を持つ山岳地帯の国タジキスタンはこれまで、ロシア人、モンゴル人、トルコ人、アラブ人、ペルシャ人、中国人からの侵略を受けてきた。1000年以上にわたり、アジア文明の岐路に位置してきたこの国は今、新たな岐路に立たされている。タジキスタンの人々の目が、ロシアから中国に移ろうとしているのだ。

 タジキスタンに対してロシアが影響力を持つようになったのは、1860年代~70年代のこと。1895年には、英露が中央アジアの覇権を巡って長年争っていたいわゆる「グレート・ゲーム」のさなか、両国の代表者が、アフガニスタンとの国境を定めるために、現在のタジキスタンにあるゾルクル湖のほとりで会合を持った。

 それからおよそ100年後のソビエト連邦の解体によって生まれた15の独立国の中で、タジキスタンは並外れて貧しい。この国はいくつもの社会問題、未熟な経済、独裁的な政府に苦しめられており、なかでも特にやっかいなのがきわめて高い失業率だ。1997年にタジキスタン内戦が終結してからは、同国からロシアへの出稼ぎ労働者の数は増加を続け、わずか数年前の2012年まで、この国のGDPは半分以上が海外からの送金で占められていた。

ホログにある競技場から山々を望む。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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 しかしロシア経済は現在、経済制裁や石油価格の低下などの影響で衰退しつつあり、ここ2年ほどは働き口を見つけるのが難しくなっていた。2015年からはロシアの移民法改正によって、出稼ぎ労働者は、ロシア語とロシア史の試験に合格し、労働許可証を取得し、各種費用を支払わなければならなくなった。

 タジキスタンで話を聞いた人たちの多くが、ファラクノズ氏と同様、ロシアでの労働環境や人種差別的な暴力についての懸念を口にした。

マイサラ・シェラリホノヴァ。ドゥシャンベ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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シェルヨン・ヨルママドヴァ。ドゥシャンベ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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 土木作業員のティムール氏は、5年前からモスクワで働いてきたが、今は地元ホログに戻り家族と暮らしている。

「確かに私たちは“ガストアルバイター”(ドイツ語で移民労働者の意)ですが、ロシア人の町をきれいにして、家を建てているのは私たちです。私たちは人間なのです。ロシア人は我々を家畜のように扱います」

ムルガブのハイウェイ沿いに車を止めて昼食をとる中国人のトラック運転手。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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パミール・ハイウェイ。ホログ―ムルガブ間。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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中国に集まる視線

 ホログから東へ向かう車は、埃っぽい道沿いにある荒れ果てた町々を通り過ぎる。

 そんな町々のひとつ、ムルガブに到着した。ここは1893年に、ロシア軍の中央アジアにおける最前線基地として整備された土地だが、3600メートルを超える標高と、マイナス40℃からプラス40℃まで激しく変化する気温のせいで、4000人の住民の生活を支えられるような産業はひとつもない。

ムルガブ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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大祖国戦争を祝う軍事パレード。大祖国戦争は、第2次世界大戦の東部戦線において、ソ連の同盟諸国とナチスドイツとの間で起こった戦い。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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「ここでは何も育ちません。何から何までよそから持ち込まなければならないのです」と、アサド・ナシロベコフ氏は言う。「かつてここにはソ連軍の基地があり、必要なものは彼らがすべて運んできました。今では我々は中国人に頼らなければなりません」

 中国人のトラックが30台ほど、メインストリートからそう遠くないところに止まっている。今では食べ物や衣服から建築資材まで、すべての輸送を中国人が担っており、彼らのトラックは昔のシルクロードを通って、タジキスタンからさらに西のウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを目指す。

パミール・ハイウェイ沿いのヤシクル峠(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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ムルガブの町。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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ふたつの国を繋ぐ絆

 タジキスタンの首都ドゥシャンベに戻り、漢民族の中国人ビジネスマン、フ・ファン氏と、タジク人の妻に会う。フ・ファン氏は18年前、中国のウルムチからタジキスタンに移り住み、この国でさまざまな商売に携わってきた。

 彼は、官僚制度が複雑で、政治が腐敗し、経済も弱いこの国で大規模なビジネスをはじめるのは難しいとしながらも、まだ事態を楽観視している。

「ビジネスの成功にとってもうひとつ重要なのは、ふたつの社会がこの先、互いにうまく調和していけるかどうかです。たとえばこの国で10年前、タジキスタンを助けてくれるのはどの国かと尋ねたら、100パーセントの人がロシアと答えたでしょう。今では指導者層を中心に多くの人たちが、中国という選択肢を考えるようになっています」

 タジキスタンとロシアは今もまだ、文化的、歴史的に強い絆で結びついているが、首都の広場に立つレーニン像は、もう何年も前に引き倒されている。市場で手に入る品物はすべて中国製で、大学では中国語を学ぶ若者が増えている。

 かつてモスクワで成功を目指したタジキスタンの人々は近い将来、北京に夢を抱くようになるのだろうか。それともこれは、新たな「グレート・ゲーム」の始まりなのだろうか。

ムルガブからオシュへと続くパミール・ハイウェイに早朝の光が降り注ぐ。(PHOTOGRAPH BY DAVIDE MONTELEONE)
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Davide Monteleone is a photographer and visual artist with a particular interest in post-Soviet countries. You can see more of Monteleone's work on his website and follow him on Instagram.

文、写真=Davide Monteleone/訳=北村京子

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