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大型トラックが走るウズベキスタン西部の幹線道路脇で、伝統的な羊皮のコートがつり下げられ、風に吹かれていた。この道路は、かつてのシルクロードに沿うように走っている。PHOTOGRAPH BY JOHN STANMEYER

 水が欲しい。3年以上にわたって、私は水を求めて苦闘してきた。

 私は徒歩で旅を続けている。最初の人類の足跡をたどっているのだ。旅の出発点となったエチオピアでは、ラクダの水飲み場から、泥水のたまる塩湖まで歩いた。アラビア半島では、重い足取りでオアシスから次のオアシスへと進んだ。

 それでも、今回のような目に遭ったことはなかった。地中に埋めておいた補給物資を誰かが掘り当て、盗んだのだ。私にとっては貴重な60リットルの水もなくなってしまった。

 ここはカザフスタンからウズベキスタン南部にかけて広がるキジルクム砂漠。シルクロードを移動する隊商の命を2200年以上にわたって次々と奪ってきたことで悪名高い砂漠だ。現在でも、灼熱の太陽が照りつけ、とげだらけの低木が茂る広大な砂漠を旅するのは容易ではない。私も手こずった。

「羊飼いが盗んだんじゃないですよ」。ガイドのアジズ・ハルムラドフは言った。彼は誇り高いウズベキスタン人だ。「この辺りで水を盗むことは大罪です」。彼は疲れきっていて、ひざまずきながらそう言う。「そんなことをする人間なんていませんよ」

 羊飼いでないなら、誰が水を盗んだのか?

 ハルムラドフと私は、焼けるように熱くなった砂丘をどうにか登り、衛星電話を使って、歩けば2日ほどかかるブハラというオアシス都市に救助を求めた。私たちは腰を下ろし、かげろうが揺らめく地平線を眺め、救助を待った。

シルクロードの現在の姿

 シルクロードは1本の道ではなく、広がりのある複雑な網のようなものだった。それは、ラクダが通る何千もの道や狭い峠道、隊商が泊まる宿、川辺の市場、港などから成り、古代の経済活動の中心であった漢代の中国とローマ帝国を結んでいた。要衝に位置する中央アジアには、交易で富を蓄えた商人たちの王国が栄え、シルクロード沿いの産物は、北のロシア諸公国、南のペルシャやインダス川流域、西のコンスタンティノープル、東の西安などに広まっていった。

 この交易網は、遠くアフリカや東南アジアに至る、数え切れないほど多くの人々を結びつけた。シルクロードは、現代のグローバリゼーションの原型ともいうべき概念だったのだ。

 シルクロードの要衝だった中央アジアは現在、世界の本流から取り残された地域のように思えるかもしれない。そこには、カザフスタンやトルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスといったイスラム教の国々がある。

 人口が少なく、開発が遅れ、その大半が独裁主義的な中央アジア諸国が、世界から注目されることはほとんどない。だが、こうした地味な印象は真の姿とは異なる。その昔、強大な帝国同士がシルクロードの富の支配をめぐって争ったように、アジアの中央部は21世紀の地政学の行方を左右する存在なのだ。米国、中国、ロシアは、この要衝の地を舞台に、イスラム・テロリズムとの闘い、うまみのある貿易ルートの開設、エネルギー源の確保など、それぞれの国益のために競い合っている。

※ナショナル ジオグラフィック1月号特集「人類の旅路を歩く 第6回 精霊が宿るシルクロードを行く」では、ジャーナリストのポール・サロペック氏が中央アジアを歩いて旅します。