手つかずの自然が広がる楽園、豪ティウィ諸島

伝統工芸の埋葬用ポール「プクマニ」など、独自の豊かな文化を育む島々

2018.07.06
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夕暮れどきのメルヴィル島。海が鮮やかなピンクとオレンジに染まっている。(PHOTOGRAPH BY DAVID MAURICE SMITH, OCULI)

 ティウィの創造神話によれば、まだ時間の概念がない時代、ティウィ人の祖先は暗闇から立ち上がり、大地をさまよい、地球を形づくったという。「ドリーミング」と呼ばれるこの時代に、ティウィ諸島は誕生した。

 オーストラリア大陸北部の沖、ティモール海とアラフラ海が出合う温暖な海に、約8000平方キロのユーカリ林やマングローブ、湿地、手つかずの砂浜から成る11の島が浮かんでいる。ティウィ人は孤立した環境に暮らし、数千年にわたって占領から逃れてきた。そのため、独特の文化や芸術が育まれ、世代から世代へと口頭で受け継がれている。

 おそらく最も象徴的なものは、葬儀に使用されるプクマニだろう。彫刻を施し、天然顔料で着色した木の柱で、故人の生涯をたたえる意味合いを持つ。ティウィ人の間では、誰かが死去すると、モビディティと呼ばれる魂が遺体のそばにとどまると信じられている。葬儀では、モビディティを死後の世界に導くため、人々が墓地に集い、踊りや音楽、芸術をささげる。(参考記事:「アボリジニの壁画、歴史を塗り変える?」

 しかし、19世紀後半に英国の植民地となり、1911年にキリスト教の伝道者が到来したことで、ティウィの文化は様変わりした。

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ティウィ諸島はティモール海とアラフラ海が出合う場所にある。(PHOTOGRAPH BY DAVID MAURICE SMITH, OCULI)

 1937年、オーストラリア政府がメルヴィル島のガーデンポイントに入植地をつくり、「カトリック・ミッション」の保護のもとに、ティウィ諸島を含むオーストラリア全域の“混血”児を収容し始めた。「人道に対する罪」と認識されているこの同化政策は1910年から1970年まで続き、アボリジニとトレス海峡諸島民の子ども約10万人が強制的に家族から引き離された。これらの子どもたちは「盗まれた世代」と呼ばれている。(参考記事:「収容所から脱出し、1600キロを徒歩で逃げたアボリジニ3少女」

 さらに、プクマニなどの神聖な慣習は異教徒の儀式とみなされた。キリスト教の伝道者たちは福音を説くため、時間をかけて独創的な方法でティウィの伝統とキリスト教の教義を融合した。こうしてひとつになった先住民とキリスト教徒の伝統は、現在もティウィ諸島で生き続けている。(参考記事:「アボリジニ 祖先の道をたどる」

 ティウィ諸島は伝統芸術だけでなく、自然の美しさや生物多様性、伝統的な土地管理手法でも知られる。植民地時代には、ティウィ人たちが土地を追われ、伝統的な防火対策がとられなくなった。このため乾期に起きた制御不能な火災によって島々が荒廃し、林冠や野生生物の生息地が失われてしまった。

 現在、ティウィ人は再び土地の保護を任され、昔ながらの知恵と現代的な保全技術を駆使している。ティウィ諸島には56種の鳥とワニ、イルカ、ウミガメ、ジュゴンなどが生息し、事前の許可なしに立ち入ることはできない。

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文=GULNAZ KHAN/写真=DAVID MAURICE SMITH/訳=米井香織

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