消えた16世紀の入植者、115人の影を探して

英国が北米に最初に建設した入植地の謎を考古学で追跡

2018.06.01
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6月号カバーギャラリー(画像クリックでリンクします)
米国ノースカロライナ州ハッテラス島にある先住民の集落跡。ヨーロッパ人の遺物も出土していて、友好的な先住民と暮らしていたヨーロッパ人入植者がいた可能性を示唆している。PHOTOGRAPHED WITH PERMISSION OF THE CROATOAN ARCHAEOLOGICAL SOCIETY

 1590年8月の夕暮れ時、ホープウェル号という英国船が、北米大陸の東海岸沖に錨を下ろした。ロアノーク島から上る一筋の煙を見て、船上にいたジョン・ホワイト総督は「入植地にまだ誰かいて、私たちの帰りを待っていてくれたと思った」

 北米大陸に英国が最初に建設したこの入植地を、彼が去ったのは3年前で、その時は男女子ども合わせて100人以上が暮らしていた。総督は本国で物資の補給をしたらすぐに戻るつもりだったが、スペインとの戦争が勃発したため、帰還が遅れていた。

 ホワイトたちはようやく島に上陸したが、期待とは裏腹に、そこには誰もいなかった。砂浜を越えたところで、彼らは「CRO」と刻まれた木を見つける。それは事前に決めていた暗号だった。その決まりとは、島を去るときには行き先を木か柱に刻んでいく、さらに緊急事態の場合には十字も彫っていく、というものだった。

 無人の集落には、十字など災難を意味するものはなかったが、「CROATOAN」と刻まれた柱が見つかった。柱は防御柵の一部で、ホワイトがいた頃にはなかったものだった。入植者たちが敵の襲来に備えていたことは明らかだ。

 CROATOAN――クロアトアンとは、ロアノーク島の南にある細長い島と、そこに住む先住民の両方を指す。クロアトアン族はカロライナ・アルゴンキン語を話し、英国からの入植者と良好な関係を築いていた。

 ホワイトは80キロしか離れていないクロアトアン島を捜索したかったが、十分な物資もなく、ほかにも難題を抱えていたため、仕方なく英国に戻った。帰国すると入植事業を支援していたウォルター・ローリー卿の関心が、北米ではなく、アイルランドの土地獲得に移っていた。結局ホワイトはロアノーク島に戻ることはできず、115人の入植者は見捨てられ、忘れ去られた。

 それから400年、ロアノーク島の調査は何度か行われたものの、入植者がどこへ消えたのかの謎は解けないままだった。

 ノースカロライナ大学チャペルヒル校で経済学を教えるブレント・レーンは、入植者たちが消えたロアノーク島の伝説に少年時代から魅せられ、ホワイトが描いた地図の復刻版を持っている。2011年、その地図を眺めていた彼はあることに気づいた。2カ所に小さな紙片が原画の上から貼られているのだ。

 レーンの度重なる要請を受け、大英博物館が原画に光を当ててみたところ、砦を意味する星形が1カ所の紙片の下から浮かび上がってきた。意外だったのはその場所だ。入植地であるロアノーク島ではなく、80キロほど離れたアルベマール湾の西端に面する陸地だった。ホワイトが残した記述のなかに、入植者たちがロアノーク島から西に約80キロ離れた本土に移転を計画していたというものがあるが、これは地図の星の位置と一致する。

 さらに紙片を詳しく調べると、砦の輪郭がほとんど見えないほどの薄さで描かれているのがわかった。尿をインク代わりにして描いたのかもしれない。つまり、紙片は何らかの誤りを修正するというより、知られてはいけないことを隠す意図で貼られた可能性があるのだ。

 この発見を受けて、ロアノーク入植地の考古学的な調査を専門とするノースカロライナ州のNPO「ファースト・コロニー基金」は、ホワイトの地図の砦の場所に狙いを定め、「サイトX」と名づけて調査に乗り出している。

※ナショナル ジオグラフィック6月号「北米の消えた入植者たち」では、考古学調査で消えた入植者の行方を追います。

アンドリュー・ロウラー/ジャーナリスト

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