タンチョウはこうして絶滅の危機からよみがえった

江戸時代には全国的に見られた鳥、明治時代に激減

2018.05.30
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北海道釧路市の阿寒国際ツルセンターにタンチョウが舞い降りた。赤い頭頂が特徴だ。写真=福田啓人

 日本のほか、中国、朝鮮半島、極東ロシア南部にも生息しているタンチョウ。世界にいる15種のツルの一種で、国内では北海道にのみ生息し、それもほとんどが道東に集中している。本州以南では近年、秋田県や島根県での目撃例があるものの、定着はせず、大陸からの偶発的な飛来と考えられている。

 しかし、江戸時代には日本各地で記録が残っている。北海道大学の専門研究員、久井貴世さんが文献史料を基に歴史的な分布を調べたところ、東北や関東、中国地方、四国、九州でもタンチョウの渡来や生息が確認できたという。

 久井さんの研究によれば、タンチョウが蝦夷地の名産品として飼育用や食用、贈答用に捕獲され、その習慣は明治時代に入っても続いていたという。しかし明治半ばになると、タンチョウの記録は湿地や沼地が多かった道央に集中し、ほかの地域では途絶えてしまう。北海道庁は道央周辺の繁殖地で捕獲を禁止するなどの保護に乗り出すが、減少は食い止められなかった。

一時は国内で絶滅と考えられた

 一時は日本で絶滅したとも考えられたが、大正時代に釧路地方で十数羽の生存が確認された。1935(昭和10)年には釧路湿原の繁殖地が天然記念物に指定され、戦後は阿寒町(現在は釧路市の一部)や鶴居村で地元の人たちによる給餌活動が本格化し、52年にはタンチョウが特別天然記念物となる。生息数は順調に増え、分布は道東から道北、そして再び道央にも広がった。札幌市から80キロほど南東に位置するむかわ町では2011年以降、1組のつがいが定着している。現在の生息数はおよそ1800羽と考えられている。

 生息数が増えたことで、道東ではさまざまな問題が出てきた。タンチョウがコーン畑にまかれたばかりの種子をついばんだり、牧場で飼料を食べたりする被害が目立ってきたのだ。

 2016年、鶴居村の地域団体「タンチョウコミュニティ」の音成邦仁さんが中心になって、同村の農家80戸に聞き取り調査を実施した。それによると、タンチョウが農場の敷地内に毎年来ていると回答した農家は全体の8割近くにのぼり、この状況が10年以上続いているとの回答は6割以上あった。種まきや収穫直前の時期に畑に飛来すると「困る」と答えた農家はそれぞれ7割を超え、効果的な対策が求められている。だが、鶴居からタンチョウがいなくなってほしいと言う農家もほとんどいないと、音成さんは話す。農家は被害に頭を悩ませながらも、タンチョウと共存できる道を見つけようとしている。

※ナショナル ジオグラフィック6月号「タンチョウ」では、保護から共存への転換期に入った特別天然記念物を美しい写真で紹介します。

文=藤原 隆雄/日本版編集部

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