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約3割が女性というFARCの構成員が、2016年9月、集会で余興のダンスを楽しむ。かつては極秘に集まって計画を練ったが、和平交渉が進むにつれてジャングルから姿を現し、集会には数百人が参加した。PHOTOGRAPH BY JUAN ARREDONDO

「走って!今すぐ逃げるんだ!」

 当時10歳だった少女マイートは、兄が母親に向かってそう叫んだのを覚えている。丘の麓からは黒い煙が上がっていた。

 南米コロンビア北部の町エル・サラドに、右翼の武装集団「パラミリタレス」が侵入し、家々に火を放ち始めたのだ。マイートと母親はロバに乗り、2人の兄は走って逃げた。4人は畑にある小屋に身を隠したが、食料はほとんどなく、わずかな水だけで1週間を過ごした。

 逃げ遅れた住民たちは教会前の空き地に集められた。いつもはサッカーをして遊んでいた場所だ。パラミリタレスはゲリラ寄りと見なした者を1人ずつ空地の真ん中に引きずり出して、その親族の目の前で拷問し、罵声を浴びせてナイフで刺すと、絞殺か射殺で処刑した。それを見て声を上げてしまった住民は殴られ、若い女性は性的暴行を受けた揚げ句に殺された。この一帯は、音楽と踊りがとてもさかんな地域だが、パラミリタレスの構成員たちは酒をあおりながら、1人殺すたびに地元の楽団から奪った楽器をかき鳴らし、歓声を上げた。

 エル・サラドとその周辺の町で起きた虐殺は、2000年2月16日から21日まで6日間続き、死者は66人にのぼった。家に戻ったマイートは、黒焦げになった家々と、まだ消えずに残る死臭におびえた。4000人が暮らしていたこの町は、1週間足らずで空っぽになった。コロンビアでは当時、こうして家族や家を奪われ、生活手段を失った国内避難民が200万人以上いた。

 だが、エル・サラドはほかの町や村とは違った。住民が町を捨てずに戻って来たのだ。虐殺から2年後、彼らは家々や道を覆ったつる草を払い、現金収入になるタバコを植え直した。

 エル・サラドをはじめ、現在コロンビアは、忌まわしい過去から抜け出そうとしている。今では「マイート先生」と呼ばれるマリア・マグダレーナは、幼児教育の学位を取得し、町のまとめ役も務めている。

 半世紀にわたって内戦が続いてきたコロンビアだが、4年越しの粘り強い交渉がついに実り、2017年6月、国内最長の歴史をもつ反政府ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC)」が、最後の武器を国連監視団に引き渡した。これからは、安定した平和を少しずつ築かなくてはならない。再建の先陣を切ったエル・サラドは、コロンビア全体の傷を癒やし、復興を願う国民の希望でもあるのだ。

※ナショナル ジオグラフィック1月号の記事「内戦の傷を癒やすコロンビア」では、半世紀にわたる内戦の歴史と背景、再建の取り組みをくわしく紹介します。

文=アルマ・ギエルモプリエト