特集フォトギャラリー5点(画像クリックでリンクします)
過越(すぎこし)祭の儀式でゲリジム山に登るサマリア人の男性たち。彼らの聖地はこの山だ。イエスの時代にはサマリア人は見下されていたが、イエスは有名なたとえ話で「善きサマリア人」を隣人愛のお手本とした。PHOTOGRAPH BY SIMON NORFOLK

 イエス・キリストが実在の人物ではない可能性はあるのか。

 実在しなかったと主張する懐疑論者も一部にはいるものの、学者たち、特に考古学者はその可能性を否定する。「私の知る限り、主流の学者でイエスの史実性を疑う人はいません」と、米デューク大学の名誉教授である考古学者エリック・マイヤーズは話す。「(その生涯の)詳細については何世紀も議論が続いていますが、歴史上の人物であることをまともに疑う人はいません」

 しばしば論争を巻き起こす学会ジーザス・セミナーの共同代表を務める元聖職者ジョン・ドミニク・クロッサンですら、イエスの実在まで否定するのは行き過ぎだと言う。

「ある人物が水の上を歩いたとされている。そんなことは誰にもできないが、だからといってその人物は存在しなかったとは言えません」とクロッサンは電話で説明してくれた。「(イエスが)ガリラヤで何かをし、エルサレムでまた何かをして、処刑されたという記述は、全体としてその当時の歴史的状況とぴったり一致しています」

 イエスを研究する学者たちは二派に分かれている。一方は、イエスは福音書が伝える通りに驚くべき事績をなしたと信じる人々。もう一方は、物語のモデルとなったイエスの実像を明らかにするには、歴史研究とテキストの分析を通じて福音書を読み解く作業が必要だと考える人々だ。いずれの陣営も考古学は自分たちの味方だと主張している。

「イエス=国際人」ではなかった?

 考古学者のマイヤーズとその妻キャロルとともに、イスラエル北部ガリラヤ地方にあるセッフォリスの遺跡を見て回った。夫妻は過去33年間、この広大な遺跡の発掘調査を進めてきた。ここはガリラヤ地方、ひいてはイエスその人がどの程度ユダヤ文化を受け継いでいたかをめぐる学者たちの激しい論争の焦点となってきた。

 当時のガリラヤの人々の生活に影響を及ぼした要素のうち、とりわけ大きかったのは、イエスが生まれるおよそ60年前にパレスチナを支配下に置いたローマ帝国だ。ユダヤ人はほぼ例外なしにローマの抑圧的な支配に不満を抱いていた。こうした社会不安がユダヤ人扇動家イエスの登場につながったのではないかと、多くの学者がみている。

 ギリシャの影響を受けたローマ文化の流入で、イエスのユダヤ人的な特徴が薄まり、民族の壁を超えて社会的な公正を訴える改革者になったと推察する学者もいる。

「とげとげしい雰囲気でしたよ」

 マイヤーズは山積みされた柱の前で足を止めると、学者たちが激論を戦わせた時期のことを回想し、そうつぶやいた。そして丘の頂きに登り、腕を広げて、発掘された建物群の広がりを示した。「ここは1948年の(第1次中東)戦争の野営地跡で、シリア軍の不発弾がまだ残っていました。発掘を進めると、これらの建物が現れ、その下には何とミクヴェがあったんです!」

 ミクヴェとはユダヤ教の沐浴場のこと。それがセッフォリスの住宅地跡で30以上も見つかった。これほど多くの家庭用のミクヴェが集まった遺跡はほかにない。加えて、儀式用の石の容器が出土したことと、豚の骨がまったくなかったことが明確な証拠となった(ユダヤ教徒は豚肉を食べない)。帝政ローマの支配下にあっても、この都市はイエスの青年時代にはユダヤ的な特徴を色濃く残していたのだ。

 この発見をはじめ、ガリラヤ地方全域の発掘で得られた手がかりから、学者たちの見解が大きく変わったと、米ヒューストン・バプティスト大学のクレイグ・エバンス教授は話す。「考古学のおかげで、イエスに対する見方がヘレニズム文化の影響を受けた国際人から、戒律を順守するユダヤ教徒へと大転換を遂げました」

※ナショナル ジオグラフィック12月号特集「考古学で探る本当のイエス・キリスト」では、謎に包まれた「神の子」の事実を掘り起こします。

Kristin Romey/National Geographic