牛の「糞アート」、ルワンダ虐殺の寡婦を支える

モダンな幾何学模様が美しい、伝統絵画の「イミゴンゴ」

2017.04.20
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【動画】牛の糞から美しいアート作品が生まれる。(解説は英語です)

 23歳のファブリチェ・ンダヤムダゼさんは、母親のバシリチェさんのことを話すとき、いつも自慢げに顔を輝かせる。

「母は17歳のときから牛の糞で絵画を制作してきました。その手法は、母がその母親から教わったものです。我々の民族ではかつて、イミゴンゴの作り方を学ぶことは、女性として一人前になるために必要なこととされていました。あの虐殺の後、母はイミゴンゴの技術を生かして、私たち家族を支えてきました」

 イミゴンゴはルワンダに伝わる伝統絵画で、その起源は18世紀に遡るといわれる。基本的な作り方はこうだ。まず牛の糞と灰をこねて作った粘土状の素材を使い、平らな板の上に螺旋、ひし形、稲妻型、正方形などの精巧な幾何学模様を、立体的に構成していく。これを乾かしてから、盛り上がっている模様の部分に天然顔料で色を着ける。地元の人々の間では、この技術を考案したのはギサカのケメンイ王の息子、カキラ王子であると伝えられている。(参考記事:「人類はいつアートを発明したか?」

 46歳のバシリチェ・ウワンマリヤさんは、この王子の名前をとって「カキラ・イミゴンゴ」と名付けた女性協同組合を設立し、伝統絵画の制作を続けている。平屋建ての工房の庭を歩きながら、バシリチェさんは彼女の最高傑作だという建物を指差す。それはまるで寺院のように円形をした小屋で、屋根は藁葺きで南京錠のかかった扉がついている。

「イミゴンゴを考案したカキラ王子は、宮殿の壁に直接絵を描いていました。王子の宮殿を模したこの建物は、彼の残した遺産に敬意を表して作ったものです」

 小屋の中は、自立した壁が立ち並ぶ迷路のようになっていて、壁の表面は、白黒の幾何学模様に赤紫色の縁取りが入った、目もくらむような絵の数々に覆われている。18世紀の芸術を讃えて作られたバシリチェさんの作品は、非常にモダンで、未来的な雰囲気さえ感じさせる。しかし彼女にとって、ここは神聖な場所だ。この国を大きな悲劇が襲った後、彼女をはじめとする多くのルワンダ人女性の自立を支えたイミゴンゴ。これを生み出した人物に敬意を払うことは、とても大切だと彼女は言う。

虐殺で失われたもの

 バシリチェさんは、ルスモ滝があるタンザニアとの国境から20キロほど離れたニャカラムビ村で、6人きょうだいの一人として生まれた。一帯に広がる緑の山々は、退廃的なほどの美しさだという。バシリチェさんが育った実家の壁は、イミゴンゴで飾られていた。母親からイミゴンゴ制作の技術を習うと、バシリチェさんはすぐにオリジナル作品を作ることに没頭し、1987年にはそれを広く販売するようになった。

 1994年には、彼女は地元の弁護士と幸せな家庭を築いていた。息子を出産したばかりで、「たくさんの牛」がいる農場を持っていた。その年の4月6日、ルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領(フツ族系)が搭乗している飛行機が撃墜された。ルワンダで多数派を占めるフツ族系の政府は、大統領の暗殺はツチ族過激派のしわざだと発表した。大統領の死から数時間のうちに、軍人・文民を問わず、すべての市民はツチ族の男性・女性・子供を皆殺しにせよとの命令が出された。1994年4月7日、「ルワンダ虐殺」が始まった。(参考記事:「人類の旅路 アルメニア 虐殺の影」

 ツチ族であるバシリチェさんとその家族は、全員が殺害の標的とされた。わずか数カ月間で、彼女の両親とすべてのきょうだいを含む80万人のルワンダ人が命を奪われた。一般のフツ市民も民兵に加わり、何世代も前から隣人だった人々をレイプし、殺害した。(参考記事:「なぜ人は残虐な行為と知りながら従ってしまうのか」

 大量虐殺から逃れるため、バシリチェさんと夫は生まれたばかりの息子を連れて隣国タンザニアに移った。1997年、一家は破壊された生活を再建しようと、かつて暮らしていたルワンダの町に戻ってきた。バシリチェさんはそのとき、あの悲劇によって、すでに多くの伝統文化が失われてしまったことに気がついた。(参考記事:「暴力が支配するコンゴの鉱山」

「虐殺後、家に戻ったときには、イミゴンゴを作っている人はもう誰もいませんでした。それでも私には、一からやり直すために何かをする必要があり、また伝統を残していくためには、自分から行動しなければならないこともわかっていました」(参考記事:「ルワンダってどんな国?」

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