マヤの絵文書に新解釈、従来マヤ暦を再編か

『ドレスデン絵文書』をシンプルな数学で解読した

2016.08.26
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ドレスデン絵文書に描かれた椅子に座る神々の図像は、金星のさまざまな側面を表している。(PHOTOGRAPH BY NGS LABS, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 現代人にとって金星は、夜空に見える星の1つにすぎない。だが古代のマヤでは、金星の明るい光は戦闘の予兆として、儀式の日取りを左右し、戦いを引き起こし、「全破壊」を表す記号でもあった。

 マヤの暦と伝統を理解するため、考古学者らは長く金星に注目してきた。だがこのほど、『ドレスデン絵文書』と呼ばれる古い文献に新たな解釈が示された。それによると、天体の動きに合わせた暦作りのためにマヤで行われていた金星の観測は、我々の従来の理解とは大きく異なるという。(参考記事:「マヤ文明と終末論の真実 第2回 マヤピラミッドの真実」

 研究結果を発表したのは、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校のジェラルド・アルダナ氏だ。同氏は文章の新解釈と、巧妙な計算式、実際の観測を組み合わせ、マヤの書記官たちが暦の補正に使っていたであろう方法をシンプルに表した。「これまで認識されていなかった、とてもすっきりした数学が使われています」とアルダナ氏は話す。

 アルダナ氏の研究結果は、マヤ文明の儀式と天文の結びつきに新たな光を当てた。さらには、古代マヤの世界で起こった出来事の日付すべてに疑問を投げかけることにもなる。

金星の周期で暦を補正

 古代メソアメリカの文化が星空に高い関心を持っていたことは、以前から知られている。だが天体の詳しい観測方法を示す手がかりは、時間の経過と征服による荒廃で多くが失われてしまった。『ドレスデン絵文書』(18世紀半ば以降、文書を保管しているドイツの都市名にちなんでそう呼ばれている)は、ヨーロッパ人が新大陸に到達する以前に存在していた数多くの文献のうち、現存する4文献の1つだ。

 貴重な文献はどれもそうだが、ドレスデン絵文書も、考古学者や古文書解読に秀でた専門家たちが、数え切れないほど調査や検討を重ねている。なかでも関心が高いのが、マヤの天文学者たちが暦の補正に使っていた「金星表」と呼ばれる箇所だ。

 古代メソアメリカの人々は、2つの独立した暦を組み合わせて使っていた。1つは365日の「ハアブ」という太陽暦で、太陽の動きに合わせてある。もう1つは260日周期の「ツォルキン」で、儀式や祝祭に使われた。現代でたとえるなら1週間が260日あり、全ての曜日に大きな文化的意味があるようなものだ。(参考記事:「未来の日付、最古のマヤ暦」

 しかし、実際の太陽年の長さは365.25日なので、マヤの人々はこの4分の1日の差を補正する必要があった。現在、我々が4年に1度うるう日を挿入するのと同じことだ。

 補正のため、マヤの人々が使ったのが金星だった。彼らは古い記録をさかのぼって調べることで、数百年前のある特定の日に金星がどこにあったかを把握でき、同様にその時の空で金星が位置すべき場所も特定できた。

「結びつける」を「囲む」と解釈すると・・・

 だが、当時の補正の方法を調べるのは簡単ではない。専門家らは100年以上にわたって、ドレスデン絵文書などに基づき、マヤで使われていたはずの方程式を再現しようと試みてきた。行き着いたのが、複雑な微調整や変更を重ねる方式で、それによって現在の暦に近い、非常に精度の高い暦ができるとされた。

 アルダナ氏の最新の研究成果は、こうした従来の見方に疑問を投げかけた。エンジニアであり考古学者でもある同氏は、ドレスデン絵文書の分析に没頭した末、これまで「結びつける」と解されてきた「k’al」という1語を「囲む」だと解釈し直した。

 この小さな変更により、計算方法も変わった。アルダナ氏の方法は従来の解釈よりシンプルでありつつ、出来上がる暦は従来手法より精度の低いものとなった。

 アルダナ氏は自身の新解釈について、マヤの人々にとっては暦の精度よりも、儀式用の260日暦を維持する方が重要だったのではと話す。「星々の位置を予測する彼らの能力は、宗教行事の日取りを決める能力につながっていました」とアルダナ氏。彼の研究に基づけば、マヤの天体観測は「王国が主催する、大規模な儀式のため」という意味合いが強かったことになる。

マヤの「地下」観測所に足を踏み入れる
メキシコ、ユカタン半島の洞窟で調査を行うナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー。この場所は、太陽が天頂を通るときの経路を見られる地下の観測所だと考えられている。

金星は戦いの星?

 メソアメリカで金星などの星の動きを追っていたのはマヤだけではなかった。

「象徴としての金星は先古典期にまでさかのぼります。オルメカ文明でさえも金星の図像が見られます」と話すのは、米ボストン大学の考古学者フランシスコ・エストラーダ=ベリ氏だ。オルメカは、メソアメリカで発展したいくつもの文化の母体であると言われる。(参考記事:「マヤ文明の起源に迫る祭祀跡を発見」

 マヤ古典期には「ティカル(Tikal)」と、「蛇王朝」とも言われる「カーヌル(Kaanul)」の2大王朝があった。長期にわたる両者の対立においても金星は役割を果たしていたようだ。最初の大きな戦いがあった562年4月は、金星の動きと一致するのではという説もある。(参考記事:「マヤを支配した蛇の王国」

 少なくとも、金星は不吉な印だった。前述の戦いで蛇王朝がティカルを破ったように、ある軍が敵を完全に打ちのめした場合、書記官はその勝利の記述に金星の印を付けて「破壊し尽くした」ことを表した。

 だが、アルダナ氏の解釈が正しければ、こうした歴史の日付も修正が必要かもしれない。我々の暦とマヤの暦は一致しない可能性が出てきたからだ。

数学は普遍の言語

 米テュレーン大学名誉教授のハーベイ・ブリッカー氏は、マヤの人々が金星の観測によって暦を補正していた点や、暦に儀式目的があった点に同意する一方、儀式用の暦を重視した理由は見出せないとしている。また、現存のマヤ暦を微調整することについても、より確実な証拠が出るまでは慎重であるべきとの見方だ。

 アルダナ氏は、今回の研究結果がマヤの歴史上の日付に変更を迫るわけではなく、可能性に過ぎないと話す。彼にとって、研究で最もスリリングだったのは文書の解釈よりも、むしろ客観的で厳然とした数学だった。

 アルダナ氏はドレスデン絵文書の研究中、同じ方程式と格闘していた古代の名もない学者に親近感を覚えていた。「数学の理解が、かの人々の理解に役立ちました」と彼は言う。「使ったのは数学という言語です。そのことを、ただただ深遠に感じます」(参考記事:「マヤ文明の巨大彫刻発見、グアテマラ」

【2016年9月号特集】マヤを支配した 蛇の王国

文=Erik Vance/訳=高野夏美

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