史上最大規模、子ども140人の集団生贄を発見

遺体には心臓を取り出された跡も、南米ペルーのチムー王国遺跡

2018.05.01
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【参考動画】チムー文明入門:古代チムー王国の首都チャン・チャンは南北アメリカ大陸最大の都市の1つだった。チムーの人々はいつまでこの地に住んでいたのだろうか? 彼らの文明はなぜ滅びたのだろうか?(解説は英語です)

 チムー王国は、最盛期には太平洋沿岸の約1000キロにわたる範囲と、現在のエクアドルとの国境リマに至る内陸の谷を支配していた。

 ヨーロッパ人がやって来る前、先コロンブス期の南米でチムー王国より大きい帝国を築いたのはインカ帝国だけである。強大なインカ軍がチムー王国を滅ぼしたのは西暦1475年頃のことだった。

 ウアンチャキト・ラス・リャマス(研究者は単に「ラス・リャマス」と呼ぶ)が最初に話題になったのは2011年のことだった。ウアンチャコ出身の考古学者であるプリエト氏のチームが、緊急発掘調査により42人の子どもと76頭のリャマの骨を発見したのだ。きっかけは地元住民の言葉。プリエト氏が3500年前の寺院の発掘調査をしていたところ、浸食された近くの砂丘で人骨が露出していると教えてくれたのだ。(参考記事:「海への生贄か、チムー王国の遺跡発掘」

ペルーの北部沿岸地域に暮らす人々は、エルニーニョ現象に伴う異常気象の影響を受けやすい。
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子どもの集団生贄の跡が発掘されたウアンチャキト・ラス・リャマス遺跡の衛星画像。すぐ近くにはチムー王国の首都チャン・チャンの遺跡が広がっている。(GOOGLE EARTH, 2018 DIGITALGLOBE)
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 2016年にラス・リャマスの発掘が終了したときには、140人以上の子どもと200頭以上のリャマの子の骨が発見されていた。骨と一緒に発見された縄や織物は、放射性炭素を利用した年代測定により西暦1400年~1450年のものであることが明らかになった。

 子どもの骨にもリャマの骨にも胸骨の切断と肋骨の脱臼の痕跡が見られ、胸部を切開して押し広げ、心臓を取り出しやすくしようとしたものではないかと考えられている。

 子どもとリャマの骨の近くからは3人の成人(男性が1人と女性が2人)の遺体も発見された。3人の頭部には鈍器で殴られたような外傷があり、副葬品がないことから、生贄の儀式で何らかの役割を果たした後、すぐに殺害されたと考えられている。(参考記事:「写真で見る古代の文化と副葬品14選」

 生贄になった140人の子どもたちの年齢は5歳~14歳で、多くは8歳~12歳だった。ほとんどの子どもが海のある西の方を向いて埋葬されていた。リャマは生後18カ月未満で、多くは東のアンデスの峰々の方を向いて埋葬されていた。

次ページ:1回の儀式で殺害された

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