記憶障害になると人は実際にどうなるのか

様々な能力は?創造性は?人格は?ある芸術家の例からわかったこと

2017.03.28
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ロニ・スー・ジョンソン氏のスタジオ。米国ニュージャージー州プリンストンにある家族の家の一室を使っている。ジョンソン氏を取材して本を執筆したマイケル・レモニック氏は、「これまでの記憶障害の患者とは違い、ジョンソン氏は優れた知的能力を持った芸術家です」と話す。(PHOTOGRAPH BY ILONA SZWARC)
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 ロニ・スー・ジョンソン氏は、音楽家、アマチュアパイロット、そして「ニューヨーカー」誌のイラストレーターとして活躍していた。しかし、2007年にウイルス性脳炎を発症し、これまでの記憶の大半だけでなく、新しい記憶を形成する能力をも失った。現在、ジョンソン氏は、ジャーナリストのマイケル・D・レモニック氏が「永遠の今」と呼ぶ状況の中で生活している。レモニック氏は、ジョンソン氏と彼女を襲った悲劇から明らかになった記憶についての新事実を、著書『永遠の今』(原題『The Perpetual Now』)で紹介している。

マイケル・レモニック氏の著作『The Perpetual Now』(永遠の今)。(COURTESY PENGUIN RANDOM HOUSE)
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 ナショナル ジオグラフィックの取材班は、レモニック氏に会うために、米ニューヨークにあるオフィスを訪ねた。記憶は、自分が自分であるためにとても重要な役割を果たしている。しかし、記憶が失われているにもかかわらず、ジョンソン氏は世界の美しさに感動し、喜びに満ちた日々を送っているという。レモニック氏に詳しく話を聞いた。(参考記事:レモニック氏担当の特集「宇宙生物学のいま」

──ロニ・スー・ジョンソン氏について教えてください。なぜジョンソン氏の記憶は失われることになったのでしょうか。

 ジョンソン氏は芸術家として大成功を収めた女性で、「ニューヨーカー」などの多くの出版物に関わっていました。また、アマチュア音楽家でもあり、自家用機のパイロットでもありました。しかし、2007年のクリスマスに、ニューヨーク州クーパーズタウン郊外の農場にいたとき、高熱と頭痛に襲われ、正常な受け答えができない状態になってしまったのです。近所の人たちが急いで病院に連れて行ったところ、ウイルス性脳炎にかかっていました。これはとても深刻な脳の感染症で、死に至ることも多く、回復しても高い確率で神経に障害が残る病気です。ウイルスによって、脳の中心的な役割のひとつである記憶する機能が損傷してしまうのです。ジョンソン氏の場合もそうでした。

 感染症からは回復したものの、2つの後遺症があることがわかりました。まず、彼女はいわゆる記憶喪失になっていました。過去のことが思い出せなくなっていたのです。ただ、何も思い出せないということではありません。母親や家族のことはわかりましたし、自分が芸術家やパイロットだったことも覚えていました。また、その後6カ月から8カ月ほどで、楽譜を読んだりビオラを弾いたりできるようになりました。(参考記事:「特集:広大な記憶の海の秘密をさぐる」

 しかし、たとえばとても仲のよかった父が20年前に亡くなったことのような、重要な出来事は思い出せませんでした。父親はどこにいるのかと質問し、「もう死んだよ」と言われると、「死んだってどういうこと? なぜ私に教えてくれなかったの? いったいそれはいつのこと?」とジョンソン氏は驚くのです。

 また、古い友人のことや、今までの人生の詳細も思い出せませんでした。「私は芸術家だったのよ」と言うことはできますが、どんな仕事をしていたのか、どの美術学校に行っていたのか、といった記憶はありません。クーパーズタウンの家に行っても、そこに住んでいたということすら覚えていませんでした。

 もう1つの後遺症は、私たちにはさらに想像しづらいものです。ジョンソン氏は、新しい記憶を形成することがほとんどできなくなっていました。隣に住む人の顔も覚えることができません。翌日同じ人がやってきても忘れてしまっているのです。

 何かがおかしいと思うと、ジョンソン氏は「いったい私はどうしてしまったの?」と尋ねます。感染症にかかったのですよ、と言うと、「本当? どんな感染症なの?」と聞きます。脳の感染症だと言うと、「まあ、なんて恐ろしい」と言うのです。ジョンソン氏は何度も何度もこの質問を繰り返します。

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