森の部族に身を捧げた男、二度と帰ってこなかった

ボルネオ島の先住民にほれこみ、助けようとした男の数奇な人生

2018.03.13
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ギャラリー:森の部族に身を捧げた男 写真7点(画像クリックでギャラリーページへ)
スイス人環境活動家のブルーノ・マンサー氏。1986年、ボルネオ島、サラワクのジャングルにて。(PHOTOGRAPH COURTESTY OF THE BRUNO MANSER FUND)

――ブルーノ・マンサー氏が人生を捧げたボルネオ島のマレーシア、サラワク州のプナン族(ペナン族)について教えてください。

 プナン族は森の奥に住む部族で、食べ物の状況に応じて数週間毎に移動しながら、簡単な住居を造り、たいていは家族同士の小さな集団で狩りや採集をして暮らしていました。(参考記事:「ボルネオ島の先住民の男性」

 ブルーノは元々、どこへ行って何をするかをはっきりと決めていたわけではありませんでした。ただジャングルを10日間歩いた後でプナン族を見つけ、徐々に彼らの世界に入り込んでいったのです。数週間、数カ月と経つうちに、プナン族はブルーノを受け入れるようになり、彼の方はプナン語をすぐに覚えました。ブルーノは西洋の生活習慣を捨て去ろうと必死に努力しました。裸足でジャングルを歩き、プナン族と同じように狩りをしました。

 皮肉なのは、ブルーノが、プナン族自身よりもプナン族になりきろうとしていたことです。彼はプナン族の生活を理想化し、プナン族は外界と一度も接触を持たずに生きてきた人々であるという、事実とは異なる幻想を抱いていました。当時のプナン族は、世界中の人々と同じように、Tシャツやスニーカーを身に着けたり、髪を短く切ったり、腕時計を使ったりし始めていました。一方でブルーノは、木の皮で腰巻きを作り、プナン族の伝統的な髪型を真似て髪を伸ばしていました。(参考記事:「アマゾンの「孤立部族」を偶然撮影、部族名も不明」

 プナン族の人々はブルーノのことを、同胞であり、ソウルメイトのような存在であるとみなしていました。しかしその一方で、彼らは常にブルーノを見たままの存在、つまり自分たちにはない力を持つ白人であると認識していました。プナン族にとってのブルーノは、過去の歴史において強大な力を発揮した「英国人」の象徴でした。英国人の王「ホワイトラジャ(白人王)」が君臨した時代は、プナン族にとって平和な時代でした。政府が近隣のダヤク族から自分たちを守ってくれたからです。ダヤク族は暴力的で、プナン族よりもはるかに世慣れていました。そんな事情から、ブルーノは白人の王がいた黄金時代を引き継ぐ存在となったのです。これは非常に興味深いと同時に、皮肉な事実です。

ボルネオのジャングルにそびえる、ツタの巻きついたフタバガキの木。(PHOTOGRAPH BY MATTIAS KLUM, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)

――マイケル・パーミエリ氏はボルネオ島で「単に物理的に遠い場所ではなく、形而上的に遠い場所――ダヤク族の豊かな精神世界」を目指して旅をしたそうですが、ダヤク族の文化と芸術とはどういったものなのでしょうか。

 ダヤク族は、驚くほど豊かで高度な文化を持っています。彼らは触るものすべてを美しく変身させてしまうのです! ダヤク族は絵を描き、彫刻を彫り、ビーズで見事な作品を作ります。ダヤク族の芸術は彼らの精神世界の投影であり、その世界の中心には生と死、祖先を象徴する「生命の樹」が立っています。現代の一神教では、生と死の世界はまったく別の場所だとされますが、ダヤク族は霊魂を鎮めるための儀式を通じて、二つの世界が同時に存在すると考えます。だからこそ、彼らは死や米の収穫などにまつわるさまざまな儀式を行い、それがマイケルを夢中にさせたすばらしい芸術を生んだのです。(参考記事:「シャーマンに頼る病人はなぜ増えた? 南米シャーマン信仰と医療危機」

次ページ:プナン族は最底辺の存在だった

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