100年間、無視されてきた黒人探検家の偉業

ロバート・ピアリが「彼なしではやっていけない」と称えた男

2016.02.29
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 19世紀から20世紀にわたる探検の黄金時代に活躍した探検家の1人に、米国の貧しい孤児として育った男がいた。彼は数々の偉業を成し遂げたが、人種が理由でその大半が無視されてきた。

 男の名はマシュー・ヘンソン。同時代には珍しいアフリカ系米国人の探検家だった。そして彼こそ、北極点に到達した初めての人類だった可能性がある。米国海軍のエンジニアだったロバート・E・ピアリとの壮絶な冒険が、印象的な写真に残されている。

「私は世界の頂点に座った初めての人類だと思う」と探検家マシュー・ヘンソンは述べている。この写真は、1908年にカナダのエルズミア島で撮影されたもの。(PHOTOGRAPH BY ROBERT E. PEARY, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 ヘンソンは1866年生まれ。孤児だった13歳のとき、船上の給仕係になった。その船で、彼は船長に読み書きを教わる。その後、ワシントンD.C.の衣料品店で働いていたヘンソンは、1877年にピアリと出会う。ピアリはヘンソンを従者として雇った。その後2人は20年にわたり、仕事仲間として数々の壮大な旅を成し遂げる。

 1900年、2人は過去の誰よりも北に到達した。その後2人は、自らの記録を塗り替える。1909年、4人のイヌイットとともにグリーンランドを探検し、北極点に到達していた可能性がある。実際に到達していたかどうかについては異論もあり、今となっては確認が難しいが、ヘンソンは自身が世界で初めて北極点に到達した人類であると信じていた。(参考記事:「北極点を制覇せよ!」

 ピアリはヘンソンのことを「彼なしではやっていけない」と評価していた。ヘンソンは犬ぞりや狩猟、工芸、ナビゲーションに習熟しており、イヌイットの言葉も流暢に話すようになった。探検の日々を終えたヘンソンは、ニューヨーク市の米国税関で公務員として働き、1955年に生涯を閉じた。

 約100年にわたり、ピアリばかりが取りざたされ、ヘンソンの極地探検への貢献は軽視されてきた。しかしヘンソンは2000年、ナショナル ジオグラフィック協会が探検家に贈る最高の栄誉であるハバード賞を死後受賞した。

 1988年、ヘンソンと妻の墓は、バージニア州のアーリントン国立墓地にあるピアリの墓の隣に移された。1996年には、彼の功績をたたえ、海洋調査船にU.S.N.Sヘンソンの名がつけられた。(参考記事:「北極点遠征が風前のともしび、温暖化の影響で」

極地探検チーム

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 ピアリが極北で撮影したチーム写真。ヘンソンと4人のイヌイットが写っている。

ちょっとひと休み

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 別の極地遠征隊のメンバーと。グリーンランドの山で、山頂に石塚を積み上げたときの1枚。

北極専用服

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 イヌイットの衣装を着て寒さに立ち向かうヘンソン。

陸路の旅

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 3人のイヌイットメンバーと犬とヘンソン。北極圏の陸上横断中に撮影。

国の誇り

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 1900年5月、グリーンランドのモリス岬にて。ヘンソンとイヌイットが米国の国旗を掲げている。

ヘンソンが撮ったピアリ?

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 ヘンソンが撮影したと思われる写真。ピアリが太陽を利用したナビゲーション装置を使用している。(参考記事:「ナンセンの北極探検 氷の世界の1000日」

【参考フォトギャラリー】現代の北極で繰り広げられる資源開発ラッシュ(2016年3月号)

文=Brian Clark Howard/訳=堀込泰三

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