もはや芸術、ツタンカーメンの曾祖父母のミイラ

髪の毛1本1本までほぼ完全に保存、凝った副葬品の数々を写真で

2016.03.08
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ツタンカーメン王の曾祖父イウヤのミイラ(右)は、古代エジプトの死体防腐処置技術の粋を尽くして作られている。イウヤとその妻トゥヤ(左)は、死亡時50~60歳だったとみられる。夫同様、トゥヤは埋葬設備の碑銘から身元が判明した。彼女の名前に加え、王の着付け係、アメン神の歌姫、ミン神のハーレムを取り仕切る婦人といった肩書がヒエログリフで記されていた。(PHOTOGRAPH BY EGYPTIAN MUSEUM OF CAIRO)
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 ツタンカーメン王の墓で最近行われたレーダースキャン調査では、10代で亡くなったファラオの玄室の一角、絵が描かれた壁の裏側に、1つ、または複数の隠し部屋があるらしいことが判明した。この調査の最終報告が近く発表される。隠し部屋の存在が確実となれば、エジプト学者ニコラス・リーブス氏の主張は正しかったことになる。「KV62」と呼ばれるツタンカーメン王の墓でレーダー調査をすることになったのは、リーブス氏の発見がきっかけだった。(参考記事:「エジプト王妃ネフェルティティの墓に新説」

 リーブス氏の仮説は隠し部屋の有無にとどまらない。彼は、隠し部屋に葬られているのは、ツタンカーメンの継母にして伝説的な王妃ネフェルティティだと考えている。何とも大胆な推測だ。その美貌で王に愛され、強い影響力を誇った妃の墓なら、ツタンカーメンの副葬品がかすむほどの宝が眠っているかもしれない。(参考記事:「ツタンカーメンの隠し部屋、日本の技術者が活躍」

「シャブティ」と呼ばれる木製の小像。いずれも高さ約30センチで、死後の世界で被葬者の召使になるとされる。こうした架空の使用人のために、彩色された木で特別な容器も作られた。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 もし、葬られているのがネフェルティティではなく、別の親族ならどうだろうか? 彼らはどのような副葬品を来世に携えて行ったのだろう。そのヒントとなりそうなのが、ツタンカーメンの曾祖父母で、紀元前1400年前後に生きていたイウヤとトゥヤ夫妻にささげられた副葬品群だ。

ツタンカーメンの複雑な家系図

 ツタンカーメンをめぐる家系図は入り組んでいる。古代エジプトの王家にはよくあったことだ。イウヤとトゥヤは王族ではなかったが、社会の上流層とつながりがあったのは間違いない。彼らの娘ティイは、王家の血を引くアメンへテプ3世と結婚した。エジプト史屈指の強力なファラオだ。(参考記事:「ツタンカーメンの両親は誰?」

 ツタンカーメンの父はおそらくティイとアメンヘテプ3世の息子アクエンアテンで、母は外国から来た王妃とされるキヤであると考えられている。だが、他のファラオと同様、アクエンアテンには複数の妻がいた。その1人がネフェルティティで、ツタンカーメンにとっては継母にあたる。(参考記事:「ネフェルティティの墓に考古学者が期待する理由」

 ややこしい家系図は次の世代になっても続く。ネフェルティティとアクエンアテンの間には6人の娘が生まれた。ツタンカーメンはその1人、つまり異母きょうだいのアンケセナーメンと結婚。このため、ツタンカーメンとその妻のどちらにとっても、イウヤとトゥヤは曾祖父母なのだ。

トゥヤの内臓をミイラのように布で巻いた包みは、金箔を貼った石膏の小さなマスク(右)でふたをされていた。1つ1つ包まれた内臓は石の壺に入れられ、人の頭の形に作った栓(左)で封をされた。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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贅沢な埋葬

 イウヤとトゥヤが亡くなったとき、近親の王族たちは2人が最も上等な地に、立派に葬られるように取り計らい、第18・19王朝の王族が眠る広大な墓地「王家の谷」に埋葬した。1905年に発見されたイウヤとトゥヤの墓は、KV46と呼ばれている。

黒い松やにを塗り、男神と女神を金箔で表した木製の収納箱。中にはカノプス壺と呼ばれる方解石でできた臓器収納容器が4つ納められ、トゥヤの内臓(肺、肝臓、胃、腸)がそれぞれ入れられていた。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 彼らの墓は3回盗掘に遭ったと専門家は考えている。1度目は墓が閉じられて間もなく、後の2回は近隣の墓が築かれている最中だったとみられる。宝石や貴重な油など、持ち運べる遺物は盗み出されていた。だが、墓泥棒たちが放置していった品々からでさえ、エジプトが最も繁栄していた時代がしのばれる。

石灰岩に彩色した死体防腐処置用のテーブルに横たわる、珍しいタイプのシャブティ。被葬者の魂「バー」を表す、人の頭をした鳥が体の上に載っている。像の足元にある取っ手のようなでっぱりは、ミイラ作りの際に体液を集めるたらいを表現しているとみられる。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 まず、イウヤとトゥヤの亡きがらは、現存するミイラの中でも圧倒的に保存状態がよい。ミイラ作りには時間と費用がかかるが、防腐処置師たちはいくらでも使えたようだ。

【動画】最新技術でツタンカーメン王の墓の隠し部屋を調べる:レーダースキャン調査で壁の素材を調べている様子。日本人のレーダー技術者、渡辺広勝氏が協力している。(音声は英語です)

 イウヤもトゥヤも、つい最近息を引き取ったかのようだ。カールした髪、弓なりの眉、鼻、耳、唇の形。すべてがほぼ無傷で残った姿は、見る者の目をくぎ付けにする。

手の込んだふたが付いた石灰岩のつぼが、赤く塗られた木製の台に並んでいる。4つのふたのうち2つには雄牛の頭、1つには野生のヤギ、もう1つにはカエルがついている。高さはいずれも30センチ弱。(PHOTOGRAH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 副葬品の調度も負けず劣らずすばらしい。1つしかない玄室には山のような副葬品があった。金箔が貼られた棺、マスク、光り輝く椅子とベッド、馬車、凝った装飾が施された石灰岩のつぼ、象眼細工の箱、人毛で作られたかつら、パピルス製のかご、革や草を編んで作ったサンダル、それに「シャブティ」と呼ばれる木製の小像。これは死後の世界で故人の召使いとして働く者たちだ。

金箔が貼られたこの木製の椅子は、イウヤとトゥヤの孫娘、スィトアムンが祖父母に贈ったもの。椅子の背の部分には、着座したスィトアムンに使用人が金の首飾りを渡すところが描かれている。ヒエログリフによれば、これらの贈り物は「南の土地」から来た物だという。(PHOTOGRPAH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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燃えやすい棺、あわや炎上

 これらの宝物が、一度焼失しかけたことがある。この墓の玄室が開けられた直後、発掘資金を出していた米国の資産家セオドア・デイビス氏は、興奮のあまり電灯の設置を待てず、2人の男性を伴って、ろうそくを手にして中へ入ったのだ。デイビス氏は棺に刻まれた文字を読もうとして、両手にろうそくを持ったまま、棺にぎりぎりまで近付いた。幸い、同行した男性の1人が危険に気付いて怒鳴り、デイビス氏の手を棺から遠ざけて、ことなきを得た。

金、黒檀、象牙、青い陶磁器のタイルで装飾された木製の箱。かつては宝石が入っていたのだろうか。内側にはピンク色の亜麻布が張られている。考古学者のジェームス・キベル氏は1908年に「墓にあった中で最も胸を打たれたものの1つ」と記している。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 もちろん現在では、ツタンカーメンの墓の裏側に別の玄室があったとしても、そんな事故は起こらない。3400年以上も手つかずだった遺物を記録するのに、最新の技術で慎重に調査が進められるからだ。それでも、現代の研究者たちもデイビス氏が覚えたのと同じ興奮を感じることは想像に難くない。

トゥヤの顔を覆っていたマスク。亜麻布を石膏で固め、金箔が貼られているのは、彼女の容貌を永遠に残すためだ。時間とともに黒く変色したとみられる亜麻布はもともとマスクに密着していたが、今ではところどころはがれ、金箔の輝きがあらわになっている。(PHOTOGRAPH KENNETH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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【写真】特集ツタンカーメン 王家のフォトギャラリー

文=A. R. Williams/訳=高野夏美

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