天然痘の起源に新説、ミイラのDNA分析で判明

古代エジプトや古代インドで流行ったのは天然痘ではなかった?

2016.12.14
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リトアニアの教会から発見されたミイラ。同じ地下墓地にあった子供の体の一部から、世界最古の天然痘ウイルスが見つかった。(PHOTOGRAPH BY KIRIL CACHOVSKIJ, DELFI)
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 その病は、街を壊滅させ、帝国の拡大を阻んだ。ある歴史家はそれを「最も恐ろしい死の代行者」と呼んだ。

 天然痘はひっそりと忍び寄る過酷な病で、皮膚に跡を残し、多くの人を死に至らしめた。その恐怖から、人類は初のワクチン開発をなしとげ、また初めて病気を完全に撲滅することに成功した。

 歴史上最も恐れられた病、天然痘――ところが今、分子遺伝学の発達により、これまで定説となってきた天然痘の歴史に疑問が生じている。

 カナダ、マックマスター大学のデグルート感染症研究所率いる国際研究チームが、17世紀のリトアニアで埋葬された、ミイラ化した子供の遺体から天然痘のDNAを採取し、その遺伝子配列を解明した。

 これを近代の天然痘のサンプルと比較してみると、互いにきわめてよく似ていることがわかった。また「分子時計」の手法を使って共通祖先を探したところ、このウイルスの祖先は1588年頃までしかたどれないことが判明した。

 1588年というのは、インドや中国の古い記録や、エジプトのミイラの外観などを根拠に、天然痘の流行があったとされてきた時代より何世紀も後のことになる。

 米国の学術誌「カレント・バイオロジー」に発表された論文の中で研究チームは、こうした古い事例が、天然痘とは似て非なる別の病気であった可能性を指摘している。(参考記事:「『アイスマンにピロリ菌発見』が意味すること」

偶然の発見

 研究チームを率いるヘンドリック・ポイナー氏は過去、ケナガマンモスのDNAを再構築したり、6世紀の歯からのペスト菌を検出したりしてきた。

 しかし今回の研究は、天然痘の起源を探るために始められたわけではなく、発見は偶然の産物だった。そもそもの始まりは、彼らがリトアニアのビリニュス大学客員研究員でナショナル ジオグラフィックの支援研究者である、ダリオ・ピオンビーノ=マスカリ氏によるプロジェクトの一環として、ビリニュスにある教会に保存されているミイラの組織を分析したことだった。

「これらは完全に自然にできたミイラです。つまり乾燥させるために人の手が加えられていないのです」とピオンビーノ=マスカリ氏は言う。

「23体は軟組織がよく残っています。7体は無傷で、CTスキャンのみを行いました。しかし肉が失われていたり、体の一部が欠けていたりするものについては、軟組織の採取を行いました」(参考記事:「世界各地のミイラ、ちょっと意外な作成法も」

リトアニアで見つかったミイラの手。(PHOTOGRAPH BY KIRIL CACHOVSKIJ, DELFI)
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 ピオンビーノ=マスカリ氏がポイナー氏の研究室に託した最初の組織は、体の一部だけが残っていたミイラから採取された――1643~1665年の間に、2~4歳で死亡したと推定される子供の骨盤と脚だ。

 脚には目に見える膿疱など、病気の痕跡は何もなかった。ところが研究室でサンプルから遺伝物質を抽出し、遺伝子配列を調べたところ、驚いたことに断片的で欠損のある、非伝染性の天然痘のDNAであることを示す部分が200以上も見つかった。

 チームはさらに作業を進め、天然痘ウイルスのゲノム全体を抽出・復元し、それを他の天然痘サンプルの記録と比較した。比較に使われた最も古いサンプルは1944年、最も新しいサンプルは天然痘の絶滅宣言が出される直前の1977年のものであった。

 近代のサンプルは採取した時期が正確にわかっているため、これらを利用すれば、進化に基づく互いの差異や、現代のサンプルと17世紀のものとの差異の度合いを測ったり、また天然痘ウイルスが時間とともにどの程度の割合で変化していくのかを推測したりすることができる。(参考記事:「動物のミイラの“ヘ~!?”な真実」

「我々は時間をさかのぼり、進化の過程を逆戻りしたのです」と、論文の筆頭著者でデグルート研究所の博士研究員、アナ・ダッガン氏は言う。

 彼らはその過程をさかのぼり、進化的差異が収斂するひとつの共通祖先が現れる時期を特定した。その時期とは、1588年から1645年の間であった。もしこの結論が正しいとすれば、17世紀の大流行は天然痘が犯人である一方、これまで定説だった1000年以上前の事例の数々は、天然痘ではなかったということになる。

 とりわけ重要な事実は、チームが研究に用いた天然痘ウイルスの互いのゲノムの差異が「さほど大きくない」ことだと、ダッガン氏は言う。「もし歴史書にある通り、天然痘が数千年前から存在したならば、ウイルスにはこれよりずっと多くの差異があるはずですが、実際はそうではありません」

地下墓地では、マツやオークで作られた数世紀前の棺が、今も床に置かれ、石柱に立てかけられている。死を象徴する印や図、死亡した日付が刻まれているものもある。(PHOTOGRAPH BY KIRIL CACHOVSKIJ, DELFI)
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バイオテロの脅威

 論文では、今回提唱した新説について、それを裏付ける歴史的な証拠もあると示唆している。たとえば都市の「死亡記録」において、深刻な天然痘の流行について言及されるようになるのは1632年以降のことだ。また天然痘と似たような膿疱は、牛痘やサル痘といった病においても見られる。

 地球上から撲滅されたとはいえ、天然痘は完全に死に絶えたわけではない。ウイルスのサンプルは今も、米国の疾病予防管理センターやロシアに保管されている。バイオテロに利用される可能性もあるため、天然痘ウイルスを扱う研究者はごく少数に限られている。

 チームは研究をさらに進めたい意向だが、ここから先は一筋縄ではいかないかもしれない。過去に行われてきた古代のDNA研究において、ウイルスを対象としたものはあまりなく、研究結果を比較できる前例が不足している。また天然痘のゲノムも、当然ながら数が少ない。

 ダッガン氏は言う。「我々が特に興味を持っているのは、16世紀初頭の新世界(南北アメリカ)のサンプルを探すことです。ヨーロッパ人によってもたらされた天然痘は、アメリカ先住民社会の衰退に関わりがあるとされています。もしもっと古いサンプルが見つかれば、まったく異なる事実が浮かび上がってくるかもしません」(参考記事:「コロンブスの町、崩壊の原因は壊血病か」

文=Maryn McKenna/訳=北村京子

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