国境に分断され「王国」を宣言した先住少数民族

セトゥ人のおとぎの国をたどる美しいフォトギャラリー

2016.11.16
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エストニアのオビニツァ村で、伝統的な衣装を身にまとって祖父母の庭に立つセトゥ人の少女、リーシ・ルイヴさん。セトゥの女性は皆、古い衣装と新しい衣装の両方を持っている。写真の衣装は比較的古いもので、白が多めに使われ、まくり上げて着る長い袖が付いている。服装からわかることはそれだけではない。既婚女性は髪をすべて覆わなくてはならないが、未婚の若い女性やリーシさんのような少女は、花輪かヘッドスカーフだけをかぶって長く編んだ髪を外に垂らす。今では、伝統的な衣装を着るのは特別な機会だけだ。この衣装の刺繍はリーシさんが自分で施したものだという。「私はセトゥ人であることを誇りに思います」と彼女は言う。「ここは私が生まれた場所、育った場所なのです」(PHOTOGRAPH BY JEREMIE JUNG)
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 係争中のふたつの国に、国境線をまたぐように存在する“王国”がある。そこで暮らすのはセトゥ人。エストニア南東部とロシア北西部の間に挟まれた、セトマーと呼ばれる地域に生きる。わずか数千人からなる先住少数民族だ。(参考記事:分断されたエストニアのセトゥ人

 セトゥ人は何世紀にもわたり、独自の伝統を頑なに守ってきた。たとえば古代から伝わる彼らの多声歌唱は2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。

セトゥの国歌。歌い手はヴィンスキという小さな村に住むセトゥ人女性、レア・オヤメツさん。

 一方で彼らは、独特の文化が現代社会の影響で失われるのを防ぐために、自分たちの王家を立ち上げるなど、まったく新しい慣習を生み出している。(参考記事:オーロラのカーテン、エストニア

セトゥ人にとって豊穣と収穫の神であるペコ神は、ソ連崩壊後、彼らの王となった。ペコ神は、ロシア、ペチョールィの生神女就寝プスコフ洞窟修道院にある洞窟で永遠の眠りについているとされる。言い伝えによると、ペコ神はセトゥ人に大きな危機が訪れたときにだけ目を覚ます。この修道院はロシア正教のもので、現在はセトマーのロシア側に位置しているが、二度の大戦の中間期にはエストニア側にあった。セトゥ人が暮らす土地の3分の2はロシアのプスコフ地方に組み入れられているが、そこに暮らすセトゥ人は200人ほどにとどまる。(PHOTOGRAPH BY JEREMIE JUNG)
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 現在、最大の懸案事項は、セトゥ人を分断するロシアとエストニアの国境線だ。かつてはこの国境線に明確な隔てはなく、あいまいにされていた。また20世紀には、国境線は幾度となく引き直された。二度の世界大戦、ソビエト連邦の盛衰、欧州連合成立などのさまざまな動きがあったためだ。(参考記事:ロシア系住民は領土復活への足掛り

 しかし、ソ連崩壊後の1990年代半ば、エストニアは独立を達成。そしていつしか国境線――今日に至るまで承認されていないが――は、セトマーをロシア側とエストニア側に分割する強制力を持つ存在となり、セトゥの人々、彼らの畑、教会、墓地をふたつに引き裂いていった。

NG MAPS SOURCE: R. Kaiser and E. Nikiforova, Ethnic and Racial Studies (2006)
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「国境が引かれ、彼らの生活は破壊されました」。国境線が明確になっていった時期にセトマーでフィールドワークを行っていたサンクトペテルブルクの独立社会研究センターの研究員、エレナ・ニキフォロヴァ氏は言う。

「国境線は彼らにとって、自分たちが独特の民族であると認識するきっかけとなりました。国境線で分断されたことにより、彼らは団結したのです」

 ふたつの国に引き裂かれたセトゥ人は1994年、自分たちは新たな国家、セトマー王国を設立すると宣言した。それから20年以上がたった今も、彼らは王国を守り続けている。(参考記事:ナショジオが撮った世界の民族衣装15選

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