ロビンソン・クルーソー「実在神話」の真相

モデルとされている人物は5本の指にも入らない、と研究者

2016.10.03
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無人島でヤギと遊ぶ海賊のアレクサンダー・セルカーク(後ろに見える家の描写は正確ではない)。セルカークはロビンソン・クルーソーのモデルと考えられているが、研究者たちは違和感を訴えている。(PHOTOGRAPH BY MARY EVANS PICTURE LIBRARY, ALAMY)
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 英国の作家ダニエル・デフォーが1719年に小説『ロビンソン・クルーソー』を発表した当時、実在する海賊のサバイバルを描いた物語は文学の主要なジャンルの一つだった。デフォーはこうした物語の影響を受け、乗っていた船が沈没し、孤島に流れ着いた英国人を主人公にした小説を書いた。内容は典型的な漂流記だったが、この物語はたちまち人気となり、最初の1年間に何度も重版されるほどだった。(参考記事:2006年8月号「カリブ最強の海賊『黒ひげ』」

 1731年にデフォーが死去した後、ロビンソン・クルーソーのモデルは無人島で4年半を過ごしたスコットランドの海賊アレクサンダー・セルカークではないかと、一部の読者が主張し始めた。現在でも、セルカークとクルーソーの関連性を指摘する声は多く聞かれる。

 しかし、英国ロンドン大学キングスカレッジの海軍史教授で、ロビンソン・クルーソーを研究するアンドリュー・ランバート氏は、実在のある人物をモデルにしたと考えるのは「誤った前提」だと述べている。なぜなら、クルーソーの物語は「さまざまな海賊のサバイバル物語を複雑に組み合わせたもの」だからだとランバート氏。

 米国オーバーン大学の英語学者で、ダニエル・デフォーの研究者でもあるポーラ・バックシャイダー氏は「セルカークが、クルーソーの主要なモデルだなんてことは決してありません。トップ5にも入らないでしょう」と話す。「ロビンソン・クルーソーは長編小説です。セルカークの体験が主なネタ元でないと考える理由はたくさんあります」

1704年、セルカークはマサティエラ島に置き去りにされた。チリ政府は1966年、この島の名前をロビンソン・クルーソー島に変更した。(PHOTOGRAPH BY GEORGE F. MOBLEY, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 バックシャイダー氏によれば、航海中に遭難した人や孤島に置き去りにされた人のサバイバル物語はほかにいくらでもあるという。こうした物語の主人公(男性も女性もいた)の中には、島の先住民たちと交流したり、商売をしたりして過ごした人もいた。セルカークの無人島での生活より、こうした物語の方がロビンソン・クルーソーの物語と共通する点が多い。

 たとえば、ロバート・ノックスという人物をみてみよう。ノックスはセイロン(現在のスリランカ)で遭難し、捕虜となって20年間を過ごした(クルーソーが孤島で生活した期間に近い)。

「彼はトウモロコシの商売を始めました」とバックシャイダー氏は話す。「ウールの帽子も製造していました。しかも、デフォーは彼と面識があったんです」。デフォーが多くの人から影響を受けたことを示唆する話はほかにもある。

 デフォーにとって、セルカークの物語はいくつものサバイバル物語の一つにすぎなかったのだろう。それなのに、セルカークこそが、クルーソーの唯一のモデルだと考えられていることに、デフォー研究者たちはあきれているという。バックシャイダー氏によれば、セルカークの話を聞くたび、研究者たちは「クスクス笑っています」という。

 ではここで、セルカークの驚くべき体験を紹介しよう。ロビンソン・クルーソーの物語とは異なる点をいくつか、そして、奇妙な共通点をひとつ挙げてみる。

ロビンソン・クルーソー島(旧マサティエラ島)にあるセルカークの記念碑。ナショナル ジオグラフィック英語版の1922年の記事「縦長のチリを旅する」より。(PHOTOGRAPH BY HARRIET CHALMERS ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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セルカークは遭難者ではない

『ロビンソン・クルーソー』の主人公は乗っていた船が沈没し、ただ1人生き残った。そして偶然、ある島に漂着した。一方、セルカークは島に残ることを自ら選んだ。

 1704年、セルカークが乗り組んでいた英国船シンク・ポーツ号は、チリの沖合に浮かぶファン・フェルナンデス諸島のマサティエラ島に停泊。その時、セルカークは船長と口論になった。船の安全性に疑問を抱いたためだ。そこで彼は船を下り、独りで島に残ることになる。(参考記事:「南米チリ、巨大な海洋保護区を新設」

「船の整備が行き届いておらず、このままでは沈没するとセルカークは考えていました。実際、船は沈没しました」とランバート氏は説明する。「島に残るという彼の決断は正しかったわけです。船は沈没し、乗組員の半数が命を落としました」

 セルカークの考えでは、数週間から数カ月もすれば、別の英国船がやって来て、再び航海に出られるはずだった。ところが実際には、4年半も待つことになってしまった。

セルカークは海賊だった

 マサティエラ島での生活を始めるまで、セルカークはシンク・ポーツ号の乗組員として、スペイン船や南米沿岸の都市を標的に略奪を行っていた。クルーソーと違って、彼は海賊だったのだ。

ロビンソン・クルーソー島の名所エル・ユンケを登る人々。1967年のナショナル ジオグラフィック英語版に掲載。(PHOTOGRAPH BY GEORGE F. MOBLEY, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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『ロビンソン・クルーソー』がそれ以前のサバイバル物語と決定的に違った点は、主人公が海賊でないことだった。

「デフォーの小説で描かれている経済活動は海賊たちの活動とはかけ離れています」とランバート氏は話す。「海賊は金品を略奪して帰り、酒を飲むだけです。クルーソーはまったく違いました。彼は経済支配を目指す帝国主義者です。彼は交易によって利益を得る世界をつくろうとしていました」

セルカークは一人ぼっちだった

 セルカークが暮らしたのは無人島だが、クルーソーが漂着した島には先住民がいた。『ロビンソン・クルーソー』にはクルーソー以外にも、フライデーという重要人物が登場する。フライデーは先住民の一人だ。

 フライデーにも実在のモデルがおり、その一人がミスキート族のウィルだと、ランバート氏は考えている。ウィルはセルカークがやって来る20年前に、漂着したマサティエラ島で救出された人物だ。ランバート氏によれば、海賊だったウィリアム・ダンピアがウィルの物語を記録しているという。(参考記事:「18世紀の海賊が食べていたものは?」

「フライデーと父親が砂浜で踊る場面がありますが、これはファン・フェルナンデス諸島の浜辺で2人のミスキート族に遭遇した出来事と一致しています」とランバート氏は話す。「題材となったのはダンピアの記録であり、セルカークではありません。セルカークの漂着より前に起きた出来事です」

二人の皮肉な共通点

 チリ政府は1960年代、セルカークが暮らしていたマサティエラ島をロビンソン・クルーソー島と改名した。セルカークとクルーソーに関連性があると考えられているためだ(ロビンソン・クルーソーが暮らした島はまるでカリブ海の島のように描かれている部分もある)。ファン・フェルナンデス諸島に属するマサフエラ島もアレハンドロ・セルカーク島に改名された(セルカークはこの島に一度も足を踏み入れていない)。

 こうした改名は観光客を呼び込むためだろうと、ランバート氏は推測している。しかし、その結果、おかしな皮肉が生まれてしまった。

 当然のことだが、小説の中の人物であるクルーソーは自分の名前が付けられた島に上陸したことなどない。一方、セルカークも彼の名前を冠した島に暮らしたことなどない。つまり、二人のあずかり知らぬところで、物事は勝手に進んでしまったのだ。こうした現実に取り残されている点で、クルーソーとセルカークは共通している。(参考記事:「歴史的漂流、5つの物語」

ロビンソンの足あと

10年かけて漂流記の家を発見するまで

ロビンソン・クルーソーは架空の人物ではなかった!
会社を辞め、多国籍の発掘チームを組織して、南洋の孤島に乗り込んだ日本人青年の奮闘記。

高橋大輔 著
四六判、ソフトカバー、232ページ
定価:本体1,600円+税

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文=Becky Little/訳=米井香織

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