1年の「火星」生活から帰還、VRの効果は

「やっぱり地球が一番」、火星滞在の模擬実験を終えたクルーに聞いた

2016.08.31
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8月28日、1年間のドーム生活を終えて出てくる6人のクルーたち。米国ハワイ州のマウナロア山で行われた模擬実験は、火星への長期滞在を想定したものだ。(Photograph Courtesy University of Hawai’i)
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 米国ハワイ州のマウナロア山で、シェイナ・ギフォード氏が赤い火山性の土壌を手のひらにすくい上げ、土の香りを深々と吸い込んだ。

「素晴らしい。やっぱり地球が一番ね」

 医師でジャーナリストのギフォード氏は、たった今、1年間に及ぶ火星ミッションの模擬実験を終えたところだ。6人のクルーたちは、マウナロア山の標高約2500メートルの地点に建てられた2階建てのドーム型施設で暮らしてきた。火星の宇宙ステーションでの長期滞在を想定して、隔絶された環境で生活する実験のためだ。(参考記事:「火星ミッション模擬実験、参加者に聞く」

 8月28日、クルーたちは実験を開始した2015年8月以来1年ぶりに、宇宙服なしで戸外に出た。彼らは365日半にわたって共同生活を営んできた。厳しい冷え込みのなかで一緒にうずくまり、震えた日々もあった。訪ねてくる友人はなく、家族に電話もかけられない。頼れるのは自分たちだけだった。

 ギフォード氏は風を感じようと、湿った大気に手をかざす。「気持ちいいわ」(参考記事:「星出宇宙飛行士ら、地底800mの洞窟で訓練」

 常に密閉された空間で1年という長い時間を過ごしてきた。そして今、再びこの世界に帰ってきた彼らを待つのは、殺到する記者たちの取材攻勢だけではない。普段なら何でもない感覚が、深い意味を伴って押し寄せてくる。

 その一つが、新鮮な空気だ。

「外気は、記憶のなかの海のような匂いがします。ただし、人間の記憶は当てになりません。正しいかどうかを知る唯一の方法は、その場に行ってみることです。さあ、行きましょう」。そう言ってギフォード氏が仲間に目を向けると、同僚たちはテーブルを囲み、1年ぶりの新鮮なフルーツやピザを味わっていた。

「私が土の匂いをかいでいる間に、みんなは食事をしてたのね」。そう言って彼女は笑った。

隔絶された環境で暮らす実験

 今回のクルーたちは、これまでのミッションで最も長い時間を「ハワイの火星」で過ごしたことになる。この実験は、NASAの支援を受けてハワイ大学マノア校が実施するハワイ宇宙探査模擬実験、略して「HI-SEAS」と呼ばれるプロジェクトの4回目にあたる。これまでのミッションの期間はいずれも4カ月間か8カ月間で、2017年と2018年に開始予定のミッションも8カ月間を予定している。

 各回とも、選ばれた6人のクルーは、外界から隔絶されたドームで生活することを求められる。ソーラーパネルはあるが、建物は断熱されていない。実際の火星での生活を想定した装備はそろっているが、それはつまり、足りない物だらけということだ。

 バイオトイレ、フリーズドライの肉、ある程度の医療品(幸い、大きな外傷は発生していない)などはある。しかし、ドーム外との通信には20分の遅延が生じ、個人用のスペースはハワイのリゾートホテルのクローゼットよりも狭い。娯楽といえば、さいころを使ったゲームや、仲間と踊るサルサダンスくらいだ。退屈しのぎ用に、キンドルとウクレレは持ってきた方がいいとクルーたちは言う。

 環境は、完全に火星そっくりというわけにはいかない。どうしようもないものの一つが、地球の重力だ。(参考記事:「推進剤は火星で製造、最新版『火星の帰り方』」」

「ばかばかしい、と思う気持を止められないタイプの人、例えば、空気はあるんだからと戸外へ出て行こうとするような人は、このミッションには不向きでしょう」と技術責任者のアンジェイ・スチュアート氏は話す。「そういった考えは、ちょっと棚上げしておかないと、ここで十分な体験はできません」

クルーが1年間暮らしたドーム型施設は、火星の岩だらけの地形によく似た、米国ハワイ州の火山に建てられている(Photograph by Sian Proctor, University of Hawai’i)
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 遠い宇宙への長旅で、少人数のグループがどのように協力し合えばよいか。実験を通じて、そのヒントが得られるかもしれない。有能なクルーとはどのような人物か。物事はいつどのように崩壊するのか。友人や家族との隔絶は、心理的にどんな影響をもたらすのか。強いストレスに耐えられるクルーを、どうすれば育てられるか。知りたいことは山ほどある。

「クルーが力を発揮するには、互いの結びつきが重要です」と、実験を統括するキム・ビンステッド氏は言う。「では、クルーの結束力を保つ方法は? クルーをどう選抜し、訓練すればよいのでしょうか」

「これまでにわかったのは、互いの衝突を防ぐ“魔法の弾丸”はないということです。大事なのは、衝突にどう対応し、どう反応するかです。個人としてもグループとしても、それが重要です」

 クルーのリーダーを務めた土壌学者のカーメル・ジョンストン氏は、現実の世界でも同じことだと言う。「ただし、その場から立ち去ることができないドーム内や閉ざされた空間では、とるべき対応もまるで違ってきます。宇宙で失敗する前に、起こりうるあらゆる失敗について学び、その失敗を未然に防ぎたいのです」

VR(仮想現実)装置の恩恵も

 模擬実験中に、少なくとも2人のクルーが家族の死を経験した。結婚式や出産に立ち会えなかった者もいる。祝日は何事もなく過ぎ去り、祝いの言葉はメールやビデオメッセージで交わされた。

 今回のクルーは、新しいVR(仮想現実)装置の恩恵を受けることができた。初めて居住施設内でVR環境が使えるようになり、独自の仮想現実を構築したり、外の世界から送られてくる30種類のVR環境やメッセージを体験したりできた。

 研究者のペギー・ウー氏によれば、外からのメッセージのなかには、家族が感謝祭の食卓を囲む場面もあった。遠く離れた友人たちの助けを借りて、クルーは録画された場面に没入できる。VRによってクルーが他者とのつながりを感じられるか、VRが孤立感によるストレスを軽減する助けになるかどうかを確認することが重要だったと、ウー氏は話す。

 現在はまだ1年分のデータを調べ始めたばかりだが、模擬実験の前半からの報告を見た限りでは、期待がもてそうだという。例えばクルーの一人、トリスタン・バッシングスウェイト氏はVR環境で、夢のツリーハウスを作成して楽しんだ。

 建築が専門の大学院生であるバッシングスウェイト氏は、「とびきり大きな家のモデルを選んで樹上に配置し、あれこれ楽しみました」と言う。「広々としたラウンジには自然のアートを盛り込み、滝を作ってトラに番をさせました。娯楽室にはバーカウンターとビリヤード台、バルコニーにはバスタブをずらりと並べて。ツリーハウスの裏にはたくさんの滝があって、海賊船が一隻。楽しめることは何でもしました。たっぷり3週間は遊べましたよ」

 VRを別にすれば、個人的な時間や空間は最小限しかない。ドームの外には、火山岩がごろごろした険しい斜面があるばかり。しかも、フル装備の宇宙服を着て歩かなければならない。それでもバッシングスウェイト氏にとって、ある日のドーム外活動で単独行動になったのが、一人きりを満喫できた唯一の時間だったという。彼は無線を切って、お気に入りの歌を大声で歌いながらしばらく歩き回った。(参考記事:「バイオスーツ、NASA宇宙服の歴史」

「人には、緊張を解いて自分と向き合う時間が必要です。人間は社会的な生き物ですが、四六時中そうではありませんから」とバッシングスウェイト氏は言う。

 宇宙飛行が体に及ぼす負荷が大きいことは、言うまでもない。火星に行けば、大気中でも呼吸ができない。地表に水はなく、土壌には毒があり、屈強な宇宙飛行士にとっても厳しい環境だ。だが、つらいのは肉体だけではない。宇宙の旅では、人間の心にも大きな負担が強いられる。何日かまとめて休めることはほとんどなく、人類の代表として宇宙で活動するというプレッシャーもかかる。

「私たちは地球人の代表です」とギフォード氏は話す。「人類全員がここに来ることはできません。だから私たちが代わりに来たのです」(参考記事:「火星を周回する宇宙ステーションの計画を発表」

文=Nadia Drake/訳=鈴木和博

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