100年前、米国に桜をもたらした3人の米国人

日本の桜は失敗を乗り越え、こうして根づいた

2016.03.25
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ワシントンDCの春を代表する桜の木は、いくつもの障害を乗り越えてこの地へやってきた。(PHOTOGRAPH BY CLIFTON R. ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 米国の首都ワシントンDCといえば、大理石の建築物や整った街並みとともによく知られているのが桜並木。毎年この時期に咲き誇る花々は、見物に押し寄せる観光客とともにワシントンの春の風物詩となっている。

 しかし、桜は元々ワシントンに存在していたわけではない。日本からやってきたものだ。日本の桜が、なぜ今米国で花を咲かせているのだろうか。そこには、満開の桜と同様に私たちの心を奪う、意外な物語があった。それは今から100年以上前、横浜でのある偶然の出会いから始まった。

エリザ・シドモアが撮影した桜と日本人女性
ポーズを取る日本女性
1918年前後の日本。桜の花越しにポーズを取る女性たち。この写真を撮影したエライザ・シドモアは、ワシントンDCに桜を植えることを最初に提案した人物。(PHOTOGRAPH BY ELIZA R. SCIDMORE, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 今でこそ、スーパーへ買い物に行けば色鮮やかな野菜や果物が目を楽しませてくれるが、かつて米国で栽培されていた作物は味気ないものばかりだった。米農務省のデビッド・フェアチャイルドは、米国の農業に利益をもたらしてくれそうな新しい植物を探して世界を飛び回っていた。そして、1902年に訪れた日本の地で、桜に出会ったのである。

 2016年2月、私は、米国へ初めて正式に持ち込まれた桜の故郷、横浜を訪れた。フェアチャイルドについて研究するようになって数年、彼が米国へ持ち帰った数々の外国産の植物のひとつである桜が、どこからやってきたのか、自分の目で確かめたかったのだ。野球が米国人の心の中心を占めているのと同様、桜はまさに日本人の心であることは、そこにいるだけで感じることができる。桜の木はいたるところに植えられ、多くの日本人を魅了し、そして満開の時期の桜は実に圧巻だ。(参考記事:「美しい日本の風景 桜」

木の間で
桜の枝に手をやる女性。1922年のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された特集『日本の農村生活』より。(PHOTOGRAPH BY KIYOSHI SAKAMOTO, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 フェアチャイルドの軌跡をたどり、創業120年を超える園芸会社、横浜植木を訪ねた。この会社は創業当時、外国で桜の需要が生まれようとしていることにいち早く気付いて、桜の木を商業化した最初の日本企業のひとつである。「私たちの会社にとって大変名誉な仕事でした」と同社社長の有吉和夫氏は、桜輸出の黄金時代について語る。桜は、外国からの旅行客が持ち帰ったり、日本の公的機関から寄贈されるなどして、トルコ、オーストラリア、フランスへと渡っていった。

 フェアチャイルドは手始めに、温暖な気候が日本と似ている太平洋沿岸のカリフォルニア州へ桜の苗木のサンプルを送ったが、サンフランシスコに到着後、桜の知識を全く持たない植物研究者の手によって枯れてしまった。

満開の桜
タイダルベイスンの北側で、目を閉じて祈るように桜の花に触れる女性。撮影年は不明。(PHOTOGRAPH BY CLIFTON R. ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC )
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 当時、桜をよく理解していた人物が、ワシントンの女性ジャーナリスト、エライザ・シドモアだった。兄が駐日米領事館の外交官だったため、日本をよく訪れていたシドモアは、ワシントンへ戻る度に日本で目にした美しい桜の話を周囲の人々に語っていた。しかし、サクランボの実らない木に興味を示すものはいなかった。(参考記事:「エライザ・シドモアが伝えた明治三陸津波」

 外国の作物に抵抗感を示す米国人が多いことをよく分かっていたフェアチャイルドは、まず125本の桜の木を取り寄せて、メリーランド州チェビーチェイスにある自宅の前庭に植えることにした。米国からの注文が入ったことに大喜びした横浜植木の社長は、1本わずか10セントという破格値で発送したという。

馬と一緒
馬車に乗ってワシントンDCの桜を鑑賞する女性。1920年代の写真。(PHOTOGRAPH BY ORREN R. LOUDEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 フェアチャイルドの庭に桜の木が植えられ、ふんわりと柔らかなピンクの花を実際に目にしたワシントンの人々は、ようやくその美しさに気付いた。サクランボが実るかどうかを気にするものはいない。そして1909年3月、誰よりもその魅力のとりこになったのが、大統領夫人になったばかりのヘレン・タフトだった。ワシントンDCの街の美化政策として桜を植えてはどうかと夫のタフト大統領に持ちかけたところ、日本との友好関係を結ぶよい機会になると感じた大統領もこれに賛成した。

 ところが1909年の秋、東京市長から送られた2000本の若木は、ほとんどが瀕死の状態でワシントンに到着したという。切られた根が短すぎ、病害虫にも侵されていた。外来害虫の侵入を恐れた農務省の昆虫学者は、ワシントンのナショナル・モールで木をすべて焼却するしかなかった。その後1912年 、日本は再び、背の高い成木3020本を送り、無事に植樹が行われた。

 当時の桜のほとんどは、現在は残っていない。元々の3020本のうち今も生存しているのは、ワシントン記念塔の近くに残る2本のみだ。 しかし、その後新たな植樹を繰り返し、今日ワシントンの桜並木には3800本の桜が植えられている。(参考記事:「日本の百年~ナショジオ写真アーカイブから」

木の下で
タイダルベイスンの桜の花の下に座る子どもたち。撮影年は不明。(PHOTOGRAPH BY ORREN R. LOUDEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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絵画のインスピレーションにも
桜の木を描く男性。1935年のナショナル ジオグラフィック誌に掲載された特集『新しいワシントンの見どころ』には、毎年行われる桜祭りには多くの観光客がワシントンへ押し寄せる、とある。(PHOTOGRAPH BY JACOB J. GAYER, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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太平洋の向こうから
ワシントンDCの桜の木のそばで、日本の着物に身を包み、カメラに向かってポーズを取る女優たち。(PHOTOGRAPH BY ORREN R. LOUDEN, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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芝生からの見事な眺め
タイダルベイスンの南側にある桜の木の間で休む女性。撮影年は不明。(PHOTOGRAPH BY CLIFTON R. ADAMS, NATIONAL GEOGRAPHIC)
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ナショナル ジオグラフィックが見た
日本の100年

1894年12月号から2012年2月号までの約120年にわたり、ナショナル ジオグラフィック誌に取り上げられた日本の記事を、当時の掲載写真とともに紹介します。

親日家のシドモアのレポートは「三陸地方を襲った大津波」など、3本収録しています。

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文=Daniel Stone/訳=ルーバー荒井ハンナ

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