世界各地のミイラ、ちょっと意外な作成法も

乾燥させる、煙でいぶす、湿地へ放り込む…「自力でなる」派も

2016.01.21
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ヨーロッパの泥炭湿地からは、驚くほど保存状態のよいミイラが見つかることがある。これは地中の酸素が乏しく、細菌による遺体の分解が起こりにくいためだ。「トーロン人」と呼ばれる写真のミイラは、デンマークの泥炭湿地で発見された。(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NATIONAL GEOGRAPHIC)
[画像のクリックで拡大表示]

 ミイラといえば、おそらくエジプトのものが最も有名だろう。さまざまな研究も行われ、最近ではポーランドの研究チームが、エジプトのミイラ42体を対象とする大規模な研究計画を発表。生前の病気や職業、さらには利き手が左右どちらだったかなどを解き明かすつもりという。(参考記事:「世界のミイラでわかる古代の病気」

 だが世界は広い。エジプトに限らず、世界のさまざまな文化のもとで、独自の方法でミイラが作られていた。なかには不死の体を手に入れるため、驚くべき習わしが行われていた地域もある。その一端を紹介しよう。

泥炭湿地のミイラ

 妖精伝説で知られるアイルランドには、伝説をはるかにしのぐ奇妙なミイラが存在する。

 現地で「ボグボディー」と呼ばれるそのミイラは、何百年も前に泥炭湿地(ボグ)に沈められ、その特殊な環境のおかげで腐敗することなく、現在まで保存されてきた。泥炭湿地は酸素が乏しく、遺体を分解する細菌も寄りつくことができないため、長期にわたって原形をとどめることになったのだ。(参考記事:「湿地に眠る不思議なミイラ」

 2011年にアイルランドで発見されたミイラの推定年代は、今から4000年前。エジプトのツタンカーメン王のミイラより500年も前のもので、泥炭湿地のミイラでは最古とみられている。

 残念ながらミイラのDNAはすでに分解していて、系統までは特定できない。だが泥炭湿地のおかげで、生前の暮らしぶりや食事、生活水準などをうかがい知ることはできる。ミイラになった原因については諸説があるが、人々を病や飢饉から守れなかった王たちが、無残に殺されて湿地に放り込まれたのではないかと仮説を立てる研究者もいる。(参考記事:「遠方より来たる“泥炭地のミイラ”」

世界最古のミイラ

 南米チリに栄えたチンチョーロ文化のミイラは、意図的に作られたミイラとして、これまで知られているなかでは世界最古である。チンチョーロの人々は約9000年前、現在のペルー南部からチリ北部の海岸に暮らし、魚を捕って暮らしていた。

 チリの町アリカとコビハの間にひっそりと残るチンチョーロの埋葬地からは、数千年前の「黒いミイラ」が出土した。黒い酸化マンガンで体を覆われていたため、この名で呼ばれている。

南米チリに栄えたチンチョーロ文化のミイラは、エジプトのものよりも数千年古く、人工的に保存処置を施されたミイラとしては最も古い。(PHOTOGRAPH BY IVAN ALVARDO, REUTERS)
[画像のクリックで拡大表示]

 黒いミイラを作るには、遺体の胴体から頭、腕、足を切り離し、内臓と肉を取り除く。頭骨に穴を開けて脳を取り出すこともあった。

 学術誌「Latin American Antiquity」に掲載された1995年の論文によると、皮膚は遺体から一度はがされ、後でまた元に戻される。腹の中に熱した炭を詰め込んで体を乾燥させてから、木の棒や動物の毛を使って体を再建し、白い灰をかぶせる。最後に短い黒髪を頭部にあしらい、全身に酸化マンガンを塗って黒く仕上げるという。(参考記事:「砂漠のミイラ文化、チンチョーロ」

21世紀のミイラ

 パプアニューギニアには現在も、祖先崇拝の一環として、ミイラを作る風習が残っている村がある。

 遺体は専用の小屋に安置され、皮膚と内臓が乾燥するまで煙でいぶされる。その後、形を保つため赤土で体全体を覆ったうえで、密林の中にある社(やしろ)に安置される。

 祝い事などの際には、村人たちの手でミイラが社から運び出される。また社を訪れて、祖先に祈る者もある。

パプアニューギニアの村で、祖先のミイラを高台にある洞窟へ戻しに行く一家。この村では、ミイラとなった家族は今も地域社会の一員とされ、村の祝い事にも招かれる。(PHOTOGRAPH BY ULLA LOHMANN, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
[画像のクリックで拡大表示]

日本のミイラ

 日本や中国、インドには、他人に任せず、自分の体を自力でミイラにする人々もいた。死に至る壮絶な苦行の末、即身仏となった仏教僧たちである。

 ある者は、即身仏になると特別な力を得られると信じ、またある者はいつの日か眠りから覚めるように体がよみがえると信じていた。即身仏になるには、木食(もくじき)と呼ばれる千日単位の修行を行う。木の実や木の皮を食べ、それ以外は口にしないという厳しい修行によって、体内の脂肪などを極限まで落とし、死後の体をミイラ化しやすくするのが目的だ。この木食修行は、9世紀に真言宗を開いた日本の僧、空海が確立したものと伝えられている。

 次に僧侶は毒入りの茶を飲んで嘔吐を繰り返し、体内の水分を排出する。脱水が進み、また血管に毒が回ることで、細菌による腐敗を防ぐためとされる。

 いよいよ最期が近づくと、僧侶は鈴を持って、空気穴だけが設けられた墓へ入る。そこで瞑想や読経をひたすら続け、鈴を鳴らして、まだ生きていることを外の者へ知らせる。鈴が鳴らなくなったら、空気穴は閉じられ、墓は封印される。

 そこまでしても、誰もが即身仏になれるわけではない。実際には大半が失敗し、遺体は朽ちてしまったようだ。現代の仏教界では奨励されていない即身仏だが、少なくとも12世紀には実践されていたとみられる。現在知られている即身仏は少なくとも24体あり、未発見のものもありそうだ。2015年にも、中国で仏像の中から僧侶の即身仏ミイラが見つかっている。

“本場”エジプトのミイラ

 防腐処置を施したエジプトのミイラは、完成までに約70日間を要することもあった。脳は鼻の穴からかき出し、内臓はすべて取り除いて別の容器に納める。心臓だけは、死者の本質と思考に欠かせないと考えられていたため、体内に残された。その後、ナトロンと呼ばれる塩類を使って体を乾燥させ、大量の亜麻布を使って包む。完成したミイラは、絵画や食べ物の模型、魔よけのお守りなど、死後に必要な品々とともに墓に納められた。

エジプトのミイラには優れた防腐処置が施され、数千年が経過した今でも、ミイラを調べることで数多くの発見がなされている。(PHOTOGRAPH BY KENNTH GARRETT, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
[画像のクリックで拡大表示]

 米国スミソニアン協会のウェブサイトでは、「エジプト人はミイラとなった体に魂が宿り、この体が破壊されれば魂も失われると信じていた」と解説されている。

 こうして作られたエジプトのミイラは保存性に極めて優れ、数千年が経過した現在も、ミイラを調べることで数多くの発見がなされている。(参考記事:「ツタンカーメンの性器に政治的背景か」

文=Mollie Bloudoff-Indelicato/訳=ルーバー荒井ハンナ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加