「非接触部族」マシコ・ピロ族、頻繁に出没の謎

周囲と接触しなかった部族は、なぜ姿を見せるようになったのか

2015.10.27
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直接接触は数年前から

 2010年の遭遇から、二十数人のマシコ・ピロ族が、ディアマンテ近くに定期的に出没するようになった。ディアマンテには真っ直ぐの砂利道があり、その両脇に家が立ち並んでいる。ある日、ニコラス・「シャコ」・フローレス氏が釣りをしているとき、マシコ・ピロ族のグループに遭遇した。フローレス氏はそれまでの何十年、森でよくマシコ・ピロ族と遭遇していたものの、このときは彼らになたを渡し、自分の農場に連れて帰った。

政府のパトロール船に乗って、マシコ・ピロ族の痕跡を探すルイ・バルガス氏。バルガス氏や政府保護官は、周辺の部族や住民によるマシコ・ピロ族との交流の安全を確保する役割を担っている。(PHOTOGRAPH BY JEFF CREMER)
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 翌年、シャコ・フローレス氏はずっと、道具やバナナなど彼らの望むものを与え続けた。しかし、なぜか突然、それをやめてしまった。2011年後半、マシコ・ピロ族はフローレス氏を狙うようになり、2度の失敗の末、11月に行われた3度目の襲撃で、矢が彼の心臓を貫通した。

 ゴメス氏は言う。「彼らが何かをほしがったとき、断ろうものなら、殺される恐れがあります。また、質問をし過ぎたり、同じ質問を繰り返したりしても、彼らは怒ります」

 ディアマンテの住民は、フローレス氏の仇討ちをすることができたかもしれない。フローレス氏の死後1週間、激しい雨が降り続き、川の水かさが増したため、マシコ・ピロ族はフローレス氏を殺した島に足止めされた。つまり、モーターボートで近づき、彼らを撃つことができたはずだ。しかし、エドガー・モラレス村長は言う。「それはできませんでした。なぜなら私たちは、同胞だから」

 マシコ・ピロ族は、しばらく姿を消したものの、また姿を現すようになった。この3年で、多数の写真や映像が撮られている。その中では、伝道者、伐採者、観光客を乗せたボートが通過する横で、男性や少年が、熱心になたやバナナを運んでいる。「想像よりもずっと早く、数多くの接触が行われるようになりました」と、人類学者のシェパード氏は言う。

政府保護官は、毎日アルト・マドレ・デ・ディオス川をパトロールしている。このカメラに表示されている写真には、鋭利な矢じりの竹槍を運ぶマシコ・ピロ族の人物が写っている。(PHOTOGRAPH BY JEFF CREMER)
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トラウマを抱えた村

 ディアマンテの住民にとって、ペレス氏が殺された今となっても、マシコ・ピロ族への見方は変わっていない。

 先住民との協働を進める非営利団体「SePeru」のフランク・ハイエク理事長は言う。「これはある種、警告と言えます。なぜなら、ノモレは危険であることがわかっているからです。でも、手を差し伸べたい気持ちや一緒になりたい気持ち、イネ族に対する好奇心なども同時に存在しています」

 しかし、ペレス氏が暮らしていたシペチアリ村は、多くの住民がマチゲンガ族である。マシコ族と同じ言語を話さず、兄弟の絆を感じることもないため、住民はマシコ・ピロ族との関係を持ちたくないと考えている。「彼らは今、玄関の前にまで押しかけ、急速に攻撃的な動きをしています。住民は連日、比較的高いリスクにさらされています。安全保障、食料安全保障、収入が、深刻な打撃を受けているのです」とハイエク理事長は語る。

 危険を受け入れざるを得なかったシペチアリ村のコミュニティは、主な収入源のひとつであったエコツーリズムロッジを閉鎖した。以降、そこで働いていたガイドやコックなどが、現金集めに奔走している。地域の学校に通う子供たちに、仕送りをしなければならないのだ。(参考記事:「関野吉晴:初めてのアマゾン、先住民の楽しみ」

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