かつての首狩り族「ナガ」に平和は訪れるか

インド政府と暫定和平協定を締結、世界最長級の内乱の行方は

2015.09.01
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毎年12月に開催されるホーンビル・フェスティバルで、観光客に伝統の装束と習慣を見せるナガの人々。ナガは、インドの北東部とミャンマー国境にまたがる地域で独立を求めて長い戦いを続けており、今でも緊張状態が続いている。
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 顔面に彫られた刺青は色あせても、ノキイング・ワンナオ(Nokying Wangnao)が60年前に初めて狩った人間の首を忘れることはできない。それは、幼い少年の首だった。

 ワンナオは、インドとミャンマーの間の辺境地域、霧に覆われたナガの丘陵地帯に今も住む、かつての首狩り族の1人だ。筆者がホンフォイ(Hongphoi)村のわらぶき小屋で彼に会ったとき、彼は頭蓋骨をかたどった銅のネックレスを5つ――1つにつき1つの首を狩ったことを意味する――を身につけながら、竹籠を編んでいた。


ナガ人のかつての首狩り族が、他の部族のメンバー殺害を振り返る。この習慣は、キリスト教への改宗とともに消滅した。(字幕は英語です)

 推定年齢80代半ばのワンナオは、半世紀前にホンフォイにキリスト教が伝わり、ナガ人の首狩りの風習が終わりを告げるまで、米の収穫回数で歳を数えていた。

 ワンナオは、対抗する部落を初めて襲撃したときのことを今でも鮮明に覚えている。シャーマンの祝福を受けた後、一晩中森を歩き、「敵の井戸の近くに隠れ、夜が明けて最初に訪れる村人を待ち伏せました」

 不運にも、最初にやってきたのは、幼い少年だった。

コニャク部族の辺境の村、シャンハチンニュ(Shianghachingnyu)に今も展示されている狩られた頭蓋骨のコレクション。この地にキリスト教が入ったのは1992年。今は亡き村長が、その権力を象徴する伝統(および頭蓋骨)をあきらめたくなかったことが、キリスト教への改宗が遅れた要因のひとつである。
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 ナガ人には、35以上の部族が含まれる。米ペンシルベニア州とほぼ同じ面積(日本の本州の半分強)の山間に推定350万人が暮らしており、キリスト教の伝来で首狩りの風習は終焉したが、平和がもたらされたわけではなかった。一時的にはナガの統一が進んだものの、その後60年に及ぶインドからの独立闘争という、世界でも最長の内乱に巻き込まれたのだ。

 8月3日、インド政府は、数多く存在する反乱勢力のうち、最大グループであるナガランド民族社会主義評議会イサク・ムイヴァー派(NSCN-IM)との枠組み協定に署名した。この予期せぬ動きにより、何世紀にも及ぶ暴力と数十年に及ぶ武力闘争に揺れたこの地に、恒久の平和がもたらされるかもしれない。(参考記事:「インドの極左過激派 終わりない反乱」

 コニャク部族の一員であるワンナオは、他の多くのナガ人と同様、かつての戦士としての自分に誇りを持っている。首狩りは単なる侵略戦争の手段だったわけではない、と彼は主張する。ナガ人の精霊信仰では、人間の頭蓋骨は、作物、動物、部族の豊作・繁栄をもたらす生命力と考えられているのだ。

 最初の襲撃を思い出すワンナオが、被害者が幼かったことに対する疑念を見せることはなかった。「すべての首に力があります」と述べながら、ホンフォイに戻ったときに熱狂的に迎え入れられたことを熱く語ってくれた。

 若き戦士らが、狩った首を見せびらかしながら村中をパレードすると、女性が米の酒を振る舞った。年輩の男性は、水牛をいけにえに捧げた。その後、首を煮て肉と頭髪を取り除くと――「私たちは、人食い族ではありませんでした」とワンナオは言う――、村長の家の外にある平らな石に、頭蓋骨を並べた。

 翌日、ワンナオの成人を祝うため、村長の妻が彼の顔と胸に、マスクのような模様の濃い刺青を彫った。今は色あせたその刺青は、かつての首狩り族の生き残りであることを意味している。

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【フォトギャラリー】ナガの人々と暮らし

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