アルプスの夏を彩るかがり火の歴史

戦火と信仰がチロル地方の伝統を生んだ

2015.06.24
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毎年6月、オーストリアのチロリアンアルプスの住民は、1796年のナポレオン軍からの解放を祝い、十字架とハートの形に火を灯す。(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 先週末、オーストリアのシュトゥーバイ渓谷にある人口4500人の町ノイシュティフトで、山に火が灯された。これは、北はドイツの国境から南はイタリアのボルツァーノまで連なる、北部チロリアンアルプスの山々で繰り返されてきた儀式だ。年に1度、多数のかがり火を灯し、 “Herz Jesu”(イエスの聖心)フェスティバルを祝う。

 主に6月ごろ、カトリックの聖体の祝日から10日後に灯されるその火の歴史は、今から200年以上前にさかのぼる。現在イタリアとオーストリアに分断されているチロル地方が、戦争の脅威にさらされていたころだ。

風雨で消えたキャンドルに再び明かりを灯すパトリック・バーガー氏。ノイシュティフトに住むメカニックであり、山岳救助ボランティアも務めている。年に一度の光景をひと目見ようと訪問者が押し掛けるため、今ではチロルの旅行代理店がキャンドルに出資している。(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 山頂に火を灯す儀式は、アルプス全体で盛んである。その多くは、夏至を祝うセレモニーと、村々の連絡に使われたのろしに端を発する。多くの地域で、今でも1年でいちばん長い日を記念して火が灯されている。

 しかし、「イエスの聖心」フェスティバルは、チロル地方特有のものだ。1796年、同地域は、ナポレオン率いるフランス軍による侵攻の恐怖にさらされていた。祖国を守ろうと数千人の志願兵が市民軍を組織。代表者が議会を設立し、チロルをイエスの聖心に捧げることを決めた。

 このときの侵攻は阻止されたものの、チロルの独立はそれほど長く続かなかった。1809年に、フランスの同盟国であるバイエルン王国に制圧されたのだ。

 しかしこの敗戦で、チロルは聖心への献身を強めることになる。イースターまたは夏至の祝いに使われていた山のかがり火が、聖心の祝日の週末に灯されることになったのだ。「それらの古い慣習が、ひとつになったのです。それは、チロル全域で今でも続いている伝統のひとつになっています」とチロル民俗博物館のカール・バーガー氏は言う。

夕暮れのずっと前、ノイシュティフトを見下ろすスキー場の草原にキャンドルを置く地域住民のステファニー・キンドルとシモン・グラインサー。デザインによっては、数百個のキャンドルが必要で、準備に何時間もかかることも。(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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アイデンティティーの象徴

 それから2世紀の間、かがり火と宗教的行進は、チロル人にとってのアイデンティティーの象徴として大切にされてきた。かがり火を用意するクラブの多くは、その起源は、外国の侵攻から祖国を守る役割を果たした18世紀の市民軍である。

 フェスティバルを祝うかがり火、十字架、その他のシンボルの準備と計画には、数週間かかる。1つの火には、通常1ポンド(約450g)の薪が必要だ。「当日あまり運ばなくてもいいように、フェスティバルの1,2週間前から薪を運び始めます」と、かがり火の準備を担当するパトリック・バーガー氏は語る。複雑なデザインの場合、数百個のキャンドルを使うこともあるという。

 6月初旬でも、雨や雪、強風の恐れもあり、設営には危険が伴う。そのため、標高の高い地点は経験豊富な登山家グループが担当する。天気が良ければ、バーガー氏は友人とともに標高2800m超の山頂まで、火を灯しに行く。その精神は、競争ではなく地域のつながりであるとバーガー氏は言う。「別の火があると、誰もが喜びます。なぜなら、火が多いほど、全体の見た目が美しくなりますから」

 火を灯した夜の翌朝は、地元の教会でのミサと、町をあげての行進が行われることが多い。インスブルックからそれほど離れていないヴェアーベルクでは、1000人を超える住民がチロルの民族衣装を身にまとい、同地方でも有名な聖心フェスティバルに参加する。町政担当者のアルビン・スチフマン氏は言う。「これは、連帯感のお祝いです。実行にはたくさんの人手が必要です。そのために、皆が仕事を休んで手伝うのです」

ヴェアーベルクのミサに向けて行進する「射手クラブ」のメンバー。その起源は、チロルを侵略から守った18世紀の市民軍である。(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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アルプス全体に火が灯されているかのよう

 20世紀以降、このお祝いは政治的な意味を持つようになった。第1次世界大戦後、チロルは2つに分断され、アルプスの南側はイタリアに、北側はオーストリアになったのだ。

 イタリアのファシスト党を率いたムッソリーニは、チロル南部の「イタリア化」を図るため、地元の慣習を抑圧し、ドイツ語の使用を禁じた。その結果、聖心フェスティバルは地元民のアイデンティティと抵抗のシンボルとなった。その意味は、今でもチロルの一部に残されている。「今はイタリアになっている地域でも火を灯すことで、チロルの大きな文化圏とつながっていることを示しているのです」とバーガー氏。

チロルの民族衣装に身を包み、ヴェアーベルクの教区教会に集合した1000人以上の住民。同地方でも有名な聖心フェスティバルのひとつであり、町政担当者は「連帯感のお祝い」と称している。(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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 晴れた夜、シュトゥーバイ渓谷を見下ろす彼のお気に入りスポットからは、何マイルも先まで続く火を見渡すことができる。それらはすべて、近隣の渓谷に住む地域住民によって灯されたものだ。「高いところから見ると、アルプス全体に火が灯されているかのよう。それは、静かな瞬間です。誰一人、声を出す者はいません。まさに、息をのむ光景が広がっているのです」

【フォトギャラリー】チロルのかがり火

(PHOTOGRAPH BY ROBBIE SHONE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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文=Andrew Curry/訳=堀込泰三

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