原爆を運んだ米軍艦、撃沈から70年

日本の潜水艦により沈没、生存者が集まった

2015.07.30
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米国海軍の重巡洋艦インディアナポリスが沈没してから今年で70年。生き残った乗組員の会合に、14人が参加した。(PHOTOGRAPHS BY JON LOWENSTEIN, NOOR/NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 1945年7月30日、米国の重巡洋艦「インディアナポリス」は南太平洋上で日本の潜水艦の放った2発の魚雷に撃沈された。海へ投げ出された乗組員たちには地獄の苦しみが待っていた。救助されるまでには5日近くもかかり、サメだらけの海に漂いながら、ある者はこらえきれずに海水を飲み、ある者は幻覚に襲われ、やがて脱水症や低体温で多くの者が命を落としていったのだ。

 乗組員1196人のうち、生き残ったのはわずか317人だった。(参考記事:「名作『白鯨』の元ネタは、もっと壮絶だった」

1945年7月30日、極秘任務を終えた後の航行中に、インディアナポリスは日本の潜水艦に発見され、撃沈された。(PHOTOGRAPH BY PHOTOQUEST/GETTY)
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 1960年以来、生き残った元乗組員たちは定期的にインディアナ州の都市インディアナポリスに集まり、人生で最悪の1週間となった悪夢のような体験を語り合い、旧交を温めている。

 沈没から70年となる今年7月に行われた生存者の会合には、今も存命の元乗組員32人のうち14人が集い、また多くの遺族、友人、政府関係者も出席した。彼らの胸のうちにある共通の思いは、75周年目はどうなるかわからないということだった。以前は2年ごとに開かれていた生存者の会合は、近年では毎年開催されるようになった。元乗組員のほとんどが90代となった今では、次の開催をどうするかについては毎回投票を行っている。

 「仲間の数はどんどん減っています」と語るのは、カリフォルニア州在住の元警察官ハロルド・ブレイ氏。現在88歳で、生存者の中では最も若い。「前回の開催以来3人が亡くなりました。本当につらいことです」

インディアナポリスの物語

 重巡洋艦インディアナポリスは撃沈される4日前、マリアナ諸島のテニアン島へ原子爆弾用の部品を届けるという極秘任務を終えていた。それから2週間もたたないうちに原爆は広島へ投下され、第二次世界大戦は程なく終結する。一方、死と隣り合わせの壮絶な体験をしたインディアナポリスの乗組員たちは、偶然通りかかったパイロットに発見され、ようやく救助された。生存者たちが回復する頃には、すでに戦争は終わっていた。

インディアナポリスの生存者は、グアムにある病院へ搬送された。船の乗組員1196人のうち、生き延びたのはわずか317人だった。(PHOTOGRAPH BY PHOTOQUEST/GETTY)
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 過去の死と、これから訪れる死。生存者の会合はともすれば、常に死の影につきまとわれそうなものだが、実のところ、集まった人々の間に漂う雰囲気はいたって明るい。なぜならインディアナポリスの物語は、人食いザメの恐怖や、命からがら生き延びた体験だけにとどまるものではないからだ。

家族にもできなかった「あの時の話」

 それは、癒やしの物語である。
「私たちは誰もが、家へ戻ると戦争のことを忘れようとしました」そう語るのは、がっしりした体格のディック・テーラン氏。ミシガン州在住で、44年間トラックの運転手をしていた。「7年間、妻にもあの時の話は一切しませんでした。彼女は何も知らなかったのです」

 ほんのわずかな例外を除いては、ほとんどの生存者が同じように口を閉ざしていた。しかし、生存者の会合が開かれるようになり、そこで互いに自分たちの経験を語り合うようになった。そのことが結果的に彼らの心を解きほぐし、次第に家族へも打ち明けることができるようになっていったという。(参考記事:「爆風の衝撃 見えない傷と闘う兵士」

インディアナポリスの写真にサインをする生存者のリチャード・“ディック”・テーレン氏。「軍へ入隊した時、父が私に言った言葉があります。『ディック、絶対に帰って来いよ』と。もうだめだと思った時にはいつも、父の顔が浮かびました」(PHOTOGRAPH BY JON LOWENSTEIN, NOOR/NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 また、それは和解の物語でもある。今年の生存者の会合には、日本軍の潜水艦の艦長で、インディアナポリスへの攻撃を命令した橋本以行(もちつら)氏の娘と孫娘が来賓として招かれていた。2人は温かく迎えられ、互いに許しの言葉が交わされた。

 それは、英雄の物語である。長年にわたり汚名を着せられていたある人物の名誉回復に貢献したのは、インディアナポリスとは何の関係のないハンター・スコット氏。今年の生存者の会合で、最も栄誉ある来賓の一人として招かれていた。10代の頃に映画『ジョーズ』に出てきたエピソードからインディアナポリスの惨事を知り、沈没の責任を追及されて軍法会議にかけられたチャールズ・B・マクベイ3世艦長の名誉を回復させたいと強く願うようになった。

 インディアナポリスの撃沈後、救助を出すのが遅れたのはなぜなのか。生き残った乗組員たちは、海軍がその責任を艦長に転嫁したと感じていた。5日もの間救助を空しく待ち続け、死んでいった仲間たち…。その責めを負うべきはマクベイ艦長ではなく、海軍だ。2000年に、米国議会とクリントン大統領によってマクベイ氏の名誉回復が実現したのは、スコット氏のたゆまぬ努力によるところが大きい。(参考記事:「細野晴臣さん タイタニックと祖父の真実」

減りゆく生存者

 それは、広く深い絆の物語でもある。
「生存者の会合には、10歳の頃から参加しています」と語るのは、海に漂う生存者を沈没から4日目に発見したパイロット、チャック・グウィン氏の娘キャロル・バーンサイド氏だ(生き残った乗組員たちは、グウィン氏を救いの天使という意味で「エンジェル」と呼んでいる)。

「ほとんどの方々の、自宅にも遊びに行ったことがあります。私は皆さんの子どもたちと一緒に成長してきたようなものです。生存者の皆さんは、自分たちの体験を聞きたいという人は誰でも歓迎してきました」。生存者の数は年々減っているにもかかわらず、会合の参加者が増え続けているのはこのためだ。

生存者のエドガー・“エド”・ハレル氏と話をするニール・スペンサー氏(写真左)。同氏の父親ダニエル・F・スペンサー氏も生き延びた元乗組員だったが、すでに他界している。(PHOTOGRAPH BY JON LOWENSTEIN, NOOR/NATIONAL GEOGRAPHIC)
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 そして、それは信じることの物語である。人生を信じ、人生にどんなことが起ころうとも、前へ進むことのできる力を信じること。

 日曜日の朝、亡くなった乗組員たちの追悼式をもって、数日間にわたる会合は幕を閉じた。その席で、91歳の元乗組員フロリアン・スタム氏が、前日の夜にウィスコンシン州の介護施設で亡くなったとの報告があった。その孫で24歳のミッチェル・スタム氏は、大学の課題でインディアナポリスの生存者を追ったドキュメンタリー映画を制作したことがある。両親が見守るなか、ミッチェル氏は壇上に上がってバラの花を一輪、亡き祖父のためにささげた。

 インディアナポリスの生存者は現在31人。会合は来年も開催されることが決まった。

文=Glenn Hodges/訳=ルーバー荒井ハンナ

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