人類の拡散ルートをたどる徒歩の旅は、1世紀前の虐殺が今なお暗い影を落とすトルコとアルメニアに入った。シリーズ「人類の旅路を歩く」の第5回。

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人類の旅路 アルメニア 虐殺の影

人類の拡散ルートをたどる徒歩の旅は、1世紀前の虐殺が今なお暗い影を落とすトルコとアルメニアに入った。シリーズ「人類の旅路を歩く」の第5回。

文=ポール・サロペック/写真=ジョン・スタンマイヤー

 アルメニアとトルコの対立は、世界の政治紛争のなかでも歴史が古く、しかも厄介だ。激しい憎悪は何世代を経ても消えず、極端なナショナリズムが台頭する原因にもなっている。そんな両国の関係を象徴するのが、「ジェノサイド」をめぐる激しい議論だ。

 ジェノサイドとは、一つの国家や民族の構成員を抹消しようとする行為で、国連は最も重大な犯罪の一つと位置づけている。だが、どの時点で何人殺されればジェノサイドになるのだろう。そして問題になるのは実際の行動なのか、それとも計画なのか。

アルメニアとトルコ、食い違う見解

 アルメニア側の見方はこうだ。虐殺の開始は1915年、第一次世界大戦が始まって9カ月後。世界最強のイスラム教国だったオスマン帝国内に暮らしていた、キリスト教を信仰する少数派のアルメニア人は、敵対するロシアに寝返った反逆者の烙印を押されてしまう。帝国の一部の指導者は、根絶と強制移住によって「アルメニア問題」を解決しようとした。国軍やクルド人民兵がアルメニア人の男性を銃殺し、女性は集団でレイプされ、村や町は略奪に遭った。川や泉は死体で埋まったという。生き残った女性や子どもはシリアの砂漠へ追いやられた(現在アルメニア国内に住むアルメニア人の数が300万人であるのに対し、国外で暮らすアルメニア人は800万~1000万人に及ぶ)。オスマン帝国内に約200万人いたアルメニア人は、50万人以下に減った。これを近代世界で最初のジェノサイドだったとするのが、多くの歴史学者の見解だ。

 だがトルコ政府は、こうした記述を完全に否定している。

※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2016年4月号でどうぞ。

編集者から

 人類が世界各地に拡散した道筋をたどるシリーズの5回目です。紛争が続く中東を抜け、カフカス地方に入りましたが、そこでも筆者ポール・サロペックが注目したのは、人類の負の側面です。アルメニアの人々が1世紀前の惨劇とどのように向き合っているかを知って、いろいろと考えさせられました。「過去を指針に前進するのか、過去に縛られるのか」という本文の一節が印象に残っています。(編集T.F)

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