1978年4月29日、冒険家の植村直己がひとり、地球の頂点に立った。北極点単独行を取材したナショジオ写真家が、人生を変えた植村との日々を語る。

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植村直己 北極点へ、ともに

1978年4月29日、冒険家の植村直己がひとり、地球の頂点に立った。北極点単独行を取材したナショジオ写真家が、人生を変えた植村との日々を語る。

文=アイラ・ブロック

 初めて体験する北極の寒さに、私は凍えた。
 1978年2月9日、2度目となるナショナル ジオグラフィック誌の取材のため、私は飛行機を乗り継いで、カナダ北部のレゾリュート・ベイ空港に降り立った。この地で私が追うのは、北極点への単独行を計画していた植村直己だ。成功すれば、北極点に単独で到達した最初の人間になる。北米大陸の北端から、氷に覆われた北極海を横切り、北極点に至るおよそ800キロの旅。その撮影を任されたことは誇らしかったが、責任の重さに少し怖い気もしていた。

 私はニューヨーク市出身の27歳の写真家で、直己は37歳の日本のヒーローだった。世界初の五大陸最高峰登頂や犬ぞりでの北極圏1万2000キロ走破など、輝かしい冒険をいくつも成し遂げていた。しかし、本人に会ってまず驚いたのは、超人的ともいえるこのエクスプローラーが思いのほか小柄だったことだ。身長165センチの私とあまり変わらない。

地球の頂点で、植村直己は幸せそうに笑っていた

 1978年3月5日、直己と17頭のそり犬、総重量400キロほどの装備、それに、私たち関係者を乗せた飛行機がアラートを飛び立ち、120キロほど北西にあるコロンビア岬の海岸に着陸した。北緯83度06分、西経71度02分、ここから直己の冒険が始まる。

 それはまさに心躍る瞬間だった。前人未到の冒険に旅立つ直己の晴れ姿をしっかり記録したいと心がはやっていたのだろう。ぬれた手袋を乾かすのも忘れて、出発準備をする直己を撮ろうと、待機用のテントを飛び出したのだ。たちまち手袋は凍り、手の指が凍傷を負った。まったく、初心者が犯すようなミスだ。痛みと水ぶくれは1週間ほどで治まったものの、37年がたった今でも、そのとき凍傷を負った指が冷えるたびにしびれる。この先も消えることのない、直己を追った日々の名残だ。

 4月29日、直己はついに北極点にたどり着いた。単独行としては、世界初の快挙だ。翌日、彼に会うため、私たちはツインオッター機で向かった。地球の頂点で、直己は幸せそうに笑っていた。あんなに幸せそうな人間を、私は見たことがない。犬たちもうれしそうだ。

 1984年にアラスカのマッキンリー山で行方不明になる瞬間まで、直己は冒険家として世界を探求し続けた。そして私は、直己から教わった強さと優しさを心に刻んで、写真家として世界を探求し続けている。

※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2015年4月号でどうぞ。

編集者から

 植村直己さんは巨人です。いくつもの「世界初」を成し遂げ、その偉業は日本だけでなく、世界的にも輝き続けています。そして、ナショナル ジオグラフィック日本版にとっても、とても大きな存在です。20年前の創刊時、「ナショナル ジオグラフィック」という雑誌とその母体の協会について日本の方々に知ってもらうため、植村さんの北極点単独行(1978年)をナショジオが支援し、その記録を特集記事として掲載したことをよく引き合いに出しました。つまり、植村さんに、ナショジオと日本をつなぐ橋渡し役をお願いしたわけです。その後も、ことあるごとに、植村さんが表紙の1978年9月号を持ち出しては、ナショジオと日本のつながり、ナショジオの調査・研究支援を理解していただこうとしてきました。
しかし、植村さんとナショジオが当時、どのような関係にあったのか、実際のところ、私は知りませんでした。「橋渡し役」に就かされたことを、植村さんが生きていたら、どう思うだろう? そんな役を勝手に押しつけられたと、不愉快に思わないだろうか? そんな居心地の悪さを、私はいつもどこかでもち続けていたのです。
 20周年特別企画「日本のエクスプローラー」を立ち上げるにあたり、日本を代表するエクスプローラーである植村さんとナショジオの関係をしっかり調べて、読者の方たちに知ってもらう良い機会だと考えました。もちろん、私自身も知りたいと思っていました。そこで、恐る恐る、巨人に近づくことにしたのです。
 37年前のことです。植村さんをはじめ、関係者の多くがすでに他界しています。そこで、北極点単独行の取材をした写真家のアイラ・ブロックに、植村さんを追いかけた日々について書いてもらうことにしました。私は、ワシントンの協会本部や日本各地に残る植村さんの足跡を追いかけました。
 植村直己さんの妻、公子さんとお会いして話をうかがう機会がありました。それまで本や映像のなかでしか知らなかった巨人の息遣いが、公子さんの言葉を通して伝わってくるようでした。公子さんはこんなエピソードを教えてくれました。植村さんは自分の顔が表紙を飾った、1978年9月号のナショジオ誌にサインをして、友人や関係者に贈っていたというのです。私はこれを聞いて、ほっとしました。植村さんはナショジオに愛着を感じてくれていたのだ、とわかったからです。「ようやく訪ねてきてくれたね」と、巨人がほほ笑みかけてくれているようでした。(日本版編集長 大塚茂夫)

「日本のエクスプローラー」は雑誌とWebの連動企画です。

雑誌「ナショナル ジオグラフィック日本版」では、エクスプローラーたちの活動を独自取材で紹介します。
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